僕たちの4年間

大学に入学するタイミングで、デジタルカメラを買った。
僕はこれまでカメラを使ったことはなく、この機種を選んだのも気まぐれ。
強いていえば、クラシカルなデザインが気に入ったのと、僕があまり見たことがないメーカーの製品だったから。
このカメラを買ってから、僕は外出するたびにこれを持ち歩くようになった。特別なイベントがある日はもちろん、何でもない日常の断片も、手当たり次第に記録し続けた。
先日ふと思い立ち、これまで撮りためてきた撮影データを見返してみた。
何万枚もある写真フォルダの中を覗くと、僕の学生生活が詰まっていた。
カメラと共に歩んできた4年間を、写真を見ながら振り返ってみようと思う。
もくじ
一枚め

カメラが届いて最初に撮影したのは、近所のセブンイレブンの看板。まだ引っ越したばかりで、右も左も分からない京都の街中で撮影した。今思えば、新しい環境に対する不安の中で、見慣れた看板に安心感を覚えていたのかもしれない。
その日から、僕は外出するたびにカメラを持ち出した。でも、まだこの時は外から来た観光客の気分で撮影していた。
被写体は金閣寺や伏見稲荷大社、京都タワーなどのメジャーな観光スポットが多い。
今見返すと、ピントや構図も定まっていない。


シャッターチャンスを追いかけて
入学して少し経ったころ、僕はこの京都学生広報部に入部した。
サークルを探している時にたまたま見つけた団体だったが、自分が持っているカメラで面白いことができるかもしれない、と考えたのがきっかけだ。
その予感は的中し、広報部での活動はシャッターチャンスの連続だった。
カメラマンとして取材に何度も同行し、清水寺や祇園祭、大阪・関西万博も撮影した。さまざまな被写体と向き合って、自然と腕前が上達していったように思う。
また、インタビュー取材で著名人を撮影することも多かった。吉岡里帆さんや横浜流星さんなど、今後の人生ではもう二度と撮ることがないかもしれない豪華な被写体も撮影した。
これは本当に貴重な経験だったと思う。カメラマンとして何年も研鑽を積まなければ撮影できないようなインタビューの現場で、趣味で少しかじっているだけの僕が撮影できたのだから。

僕の生活
学生生活では、多くのイベントがある。特に、京都に住んでいると、葵祭や祇園祭が毎年開催されるし、そうでなくても飲み会や合宿、春には花見、秋には学園祭もある。
一人暮らしに慣れたころ、そんなイベントを撮影していると、あることに気がついた。
僕の写真フォルダの中には、世界遺産の社寺の隣に、サークルの汚い部室の写真が並んでいる。荘厳な祇園祭の山鉾の写真の次には、安居酒屋のテーブルが写っている。
僕が京都で過ごしていた日常は、千年の都の歴史とありふれた学生生活が奇妙に同居しているのだ。


絶景の追体験
この4年間で、旅行にもたくさん行った。僕が購入したカメラはデジタル一眼カメラのなかでもかなりコンパクトなので、気軽に持ち出すことができたのである。
宮古島の真っ白なビーチや東北の雄大な自然、タイ・バンコクの雑多な街並みもすべて写真に収めた。
ファインダー越しにのぞいた絶景の感動を、いつでも追体験できるのが素敵だ。




その先へ
僕はいま、長い期間を過ごしたからこそ見えてくる街の景色を撮りためている。行きつけの立ち飲み屋、京都御苑の中のお気に入りのベンチ、いつもネコが寝転んでいる路地裏……
初めは観光客気分で撮っていた街が生活の場になり、いつの間にか“自分史の一部”になっていた。



4年間暮らしてみて、改めて京都という街の素晴らしさを感じている。
僕はもうすぐ京都を離れるのだが、このカメラにはまだまだ相棒でいてもらうつもりだ。いろんなところに連れ回して愛着が湧いたし、何よりたくさんあるこのカメラの機能を、まだ一部しか使いこなせていない。
使いこなせていない機能があるということは、まだ撮れる写真がたくさんあるということだ。
次の街では、何が写るだろうか。ファインダーを覗かなくても、僕にはもう、撮りたい光が見えているような気がした。

