京都に来た理由

前を向くために

前を向くために
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近くのマックに行くのにチャリを飛ばして30分。列車は1時間に1本が当たり前。周りを見渡してもあるのは田んぼ、田んぼ、田んぼ。これが私の地元です。

そんなのどかな田舎で育った私も下を向いていた時期がありました。前を向いて歩くために選んだ、京都。人生の分岐点に立たされて少し疲れているあなたに読んでほしい記事になればと思います。

教室の端で一日が過ぎるのをじっと待った冴えない高校生活

私は「華のJK」という言葉が似合わなすぎるくらい陰キャでした。男子生徒に紛れて2時間目の後に早すぎるお弁当を一人でほおばり、クラスメイトのキラキラ女子に話しかけられたら最初に「あっ」と言ってしまうような女の子でした。

自身の理想と周りを取り巻く環境のギャップに悩み、それ故心身の調子があまりよくなかったです。親友に夜中まで電話で話を聞いてもらい、ベッドの上で一人、静かに枕を濡らした夜も数え切れません。

理想の女子高生になりたかった。でもなれなかった。見た目も、中身も、勉強も、友人関係も、部活も。完璧にできないくせに妙に完璧主義な私。だから完璧にこなせない自分を愛せなかった、受け入れられなかった、許せなかったのです。

京都の大学に行くことを決めたのは、本能だった。

受験生になり、嫌でも進学先を考える時期になりました。私は高校生活はいろんなことがあったので、「私のことを誰も知らない遠くの都会で0からやり直したい」と思いました。

でも皆さん思い出してください。私は陰キャです。都会すぎる場所は、キラキラした人の集まりでボコボコにメンタルがやられてしまいます。程よく刺激をもらえる都会要素と程よく心を落ちるかせることができる田舎要素がある場所はどこだ!

そう、京都です。

受験勉強にも自分にも悩むことにも追われて心身ズタボロだった私が、一番に京都を思い浮かべたということはもう、京都で生きていくことを本能で選んだのかと思います。

住まずとも都、住んでも都

少しでもおしゃれを、と思ってかわいい恰好をした服装には到底合わない大きなリュックを担ぎ、あちこちから聞こえる関西弁におびえながら京都駅の真ん中で一人、立ち尽くした4月。

今では伊勢丹京都店にあるお土産コーナーを絶妙な距離感で歩き、店員さんに話しかけられずに物色するくらいにまで京都の生活に慣れました。

「住めば都」だなんて口にするのがおこがましいくらいに便利な京都。

均一区間の運賃が230円の市バスに興奮して目的地とは反対方向のバスに乗った田舎少女は、フリー定期のもとをとるまで市バスを乗りこなすようになりました。

さらには地元の富山で食べる市販の抹茶プリンに、「京都ほどの濃厚さはないなあ」と生意気にも舌が文句をつけるようになりました。

あの頃の私には戻らない。でも少し、思い出してしまう。

京都は過去を忘れることも、思い出すこともできる街です。縁結びの神様で有名なのに、恋御籤(こいみくじ)で大凶を引いた地主神社。昭和にタイムスリップした気分になれる錦市場。出口が絶対わからなくなる京都駅ビル。

京都では辛かった過去も明日提出のレポートも忘れて、子供のようにはしゃぐ自分がいます。。

でも、どこまでも続く鴨川を散歩していると、過去の私が向こう側から、すれ違いざまに手を引っ張ってくることも。河原町を歩いていると嗅いだことのあるコロンの匂いから、女子でいっぱいだった教室を思い出します。ちょっと感傷的な気分にひたりながら歩く街も、京都だとロマンティックです(笑)。

京都にくる前に、京都府民に失礼のないようにと京都文化を調べたことがあります。お店の人がお茶漬けを勧めたら「そろそろ帰ってほしい」という意味があるなど、遠回しにものを言う文化が存在すると聞いて末恐ろしくなりました。実際は全くそんなことありませんでしたが(笑)。

前を向いて人生をやり直す場所を京都にしてよかったです。いつでも視線の先は、繊細で上品なものに溢れていて、体も心も浄化されますから。ぜひ京都で休んでいってください。

 

京都で待ってる。

 

(京都産業大学 経営学部 吉森郁花)

この記事を書いた学生

吉森郁花

吉森郁花

京都産業大学 経営学部

手の親指を反らすことができる人です