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たくさんのあとづけを色づける、これから。

自己紹介で福島県出身と言うといつも、「そんなに遠くから!」と驚かれます。自分よりも遠方、岩手県や宮城県からの自己紹介も聞いたことがあるし、さらに遠く、北海道や沖縄県からの方もいます。だから福島県と京都府なんてそう遠くはないと思っています。遠ければ遠いほど、遠いネタが使えるけれど、最北端でも最南端でもありません。とはいえ、新幹線で乗り換えなしに往来できる様な近さでもないですが。

京都学生広報部に入り、この記事を皮切りに私は、京都に来た理由を見い出していきたいと思います。

関西へのあこがれ

大学生活を逃すと生涯関西に縁がないと思い、関西にある大学をいくつか受験しました。

「関西に縁が欲しかったことについて、具体的で現実的な理由があったのか?」と聞かれると、あいまいな返事をするのがお決まりです。何がしたいのかは、京都にいる今も未だにわからず、ただなんとなく。関西より広く、西日本への憧憬かもしれません。

関西にある大学をいくつか受験しましたが、京都の大学は今在籍している1校しか受けていません。だから本当に「京都に来た理由」は白紙なのです。

京都と福島

この記事から京都に来た理由のあとづけを始めようと意気込んでいるので、まずは自分の出身地とつなげてみたいと思います。

初めに福島県出身と書きましたが、具体的には福島県の西側・会津地方です。京都と会津の関係性は幕末という短い期間だけでも深いです。進学が決まってから2週間くらいは、自分の知らない地元会津を京都と関連付けて巡りました。この頃から京都に来た理由を見出そうとしていたのかもしれません。

これから始まる京都での生活に向けて巡った、会津のルートを少し整理してみます。白虎隊の悲劇で知られる飯盛山(いいもりやま)。会津藩主・松平容保をはじめとした歴代会津藩主の眠る院内御廟(いんないごびょう)。地元では鶴ヶ城(つるがじょう)と親しまれている若松城(わかまつじょう)をじっくり見ました。

京都と関連付けて地元を巡ると、新しい時代と旧時代の間にいる錯覚を起こします。京都と会津のつながりは、幕末がキーポイント。今の時代は幕末の激動があって築かれたものです。私が感じた不思議な錯覚は、幕末の様々なエネルギーを感じたことによるものかと思います。歴史が時と時を、直線で結んできたのではなく、細かな点で結んでつなげてきたことを肌で感じる体験でした。

これまで感じることがなかった感覚。京都では同じような体験をたくさんするのだろうと思います。

茶室麟閣(ちゃしつりんかく)から見た若松城

京都で会津に関する遺跡を見つけると、ついついそこに長居してしまいます。例えば河原町近辺をふらっと歩いてみたときに見つけた山本覚馬・八重邸跡の石碑。何気なく目に留まり、しばらく石碑を見ていました。新しさとこれまでの歴史との間にいるように感じます。

これからの学生生活ではさらに、会津と京都をつなぐ場所を訪れたいと思います。

京都を感じる

京都で歩くと、ドシっとした構えの、昔からある建物や有名な神社仏閣が出現するかと思うと、急にタピオカ屋さんやチーズドックなどの流行りのものに出くわします。道に迷うと、道だけではなく時間にも迷うような気がします。

私は京都だから何をしたらいいか、についてあまり深く考えていないかもしれませんが、「せっかく京都に来たんだから。」この言葉には敏感です。

ここまで地元のことを多く書いてきたのも、それを見出すためです。京都を強く感じるために地元を知り、地元を知るために京都について深める。京都に来た理由を埋められているように。

最後に

京都駅からの京都タワー

いざ進学してみると、まるで来ることが必然であったと思えるほど落ち着く京都。何がそうさせるか、具体的にはわかりませんが……。

京都に住んでいる間に、また京都学生広報部にいる間に、京都に来た理由をもっと見出していけたらいいなと思います。

(京都橘大学 健康科学部 小池迪代)

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