知られざる学生時代⁉THE ORAL CIGARETTES あきらかにあきらさんに取材してきた
THE ORAL CIGARETTES(ジ・オーラル・シガレッツ 略称オーラル)。
6月に発売された4th Album「Kisses and Kills」は初週売り上げ1位を記録し今まさにバンドシーンの中心にいる存在。
その『オーラル』のベース/コーラスのあきらかにあきらさんが京都大学出身であることは皆さん知っていますか?
10月14日(日)に開催された「ベース縁日in 京都 法輪寺」のご縁から、全国ツアー「Kisses and Kills Tour」真っ最中のあきらさんに取材させていただきました。
ここでしか聞けないような話をたくさんしてくださったので最後まで見てくださいね!
もくじ
音楽もといベース・中高時代の話
--音楽を始めたきっかけやベースを選んだ理由を教えてください
もともと音楽が好きだったんですよね。
中学生の時に、受験勉強の合間に気分転換的な意味でアコースティックギターを弾いて遊んでいました。
高校生になって軽音楽部に入り今のバンドのボーカル(山中拓也)に出会って、そこで同じバンドをずっと組んでいました。
高校時代はベースには一回も触ったことがなくて、ドラムやギターボーカルをやっていたんです。
そして高校を卒業して大学生になったタイミングでボーカルとまた音楽やりたいよねと話していて。
新しいことに挑戦したいなと思って、じゃあ触ったことのない楽器をやってみようと思いベースを選びました。
--あきらさんの思うベースの魅力やベースをやっていてよかったことは何ですか?
バンドサウンドで言うと真ん中にいるのがベースなんですよね。
土台がドラムだとして、華やかなギターと皆が聴き惚れるボーカル。
そのアンサンブルを真ん中でまとめるのがベースの役割だなとやっていくうちに気付けたことです。
最初はすごい地味な楽器やなと思いました。僕結構目立ちたがり屋な気質なんで(笑)。
合わないかなと思ったんですけど、まとめていくとか、中心にいるとか、俯瞰(ふかん)できているというような役割を今のバンドではできているのでやりがいを感じていますね。
--ベースのストラップが短く、右肩にだけかけているスタイルは、どういう経緯でいつごろから始められたんですか?
これは僕がベースを始めたころ、自分がベースを弾くにあたって自信がなさ過ぎて個性をムリヤリつけなあかんと思って、人と違うことをいっぱいし始めたうちの一つです。
この芸名もその思考でつけたものです。
あきらかにあきらってバカにしやすい名前やなぁとか、ベースをこっちにかける人おらんなぁとか、人が思いつかんことをやってみようっていう個性で自分を埋めようと思って。
自信のなさの表れなんですけど、そこから個性が出てきたし、自分の強みにもなっているので、あの時そういう判断をしてよかったなと思ってます。
--中高生の時はどんな学生でしたか?
すごい優等生でした。
学級委員長をやったり、学園祭とかも積極的にやりました。
出し物もめっちゃしたし、バンド演奏も漫才もやっていました。なんでもしたいタイプで、人気者な感じでした。
--進学する際に悩んだりしましたか?
大学を選んだのは負けず嫌いが理由でした。
うちの家族全員が神戸大学だったんですよね。
両親と姉を抜きたいなってことで(選択肢として選んだのが)大阪大学か京都大学の二つだったんですけど、どうせなら自分の行きたい大学に行きたいなと思い、僕の中ではそれが京都大学だったんです。
だから京都大学を目指して頑張ろうと思って、その時は音楽も全部やめてひたすら勉強に集中してました。
--いつ頃から受験勉強を真剣に始めましたか?
高2までバンドをやってたので、高3のゴールデンウィークあたりから一気に受験勉強に切り替えました。
(驚きの事実に一同驚愕。特に「ええー!?そんなことなかなかできないっすよ!!!」と僕が驚愕して声を上げてしまいあきらさんを苦笑いさせてしまった。)
遊びにバンドに勉強に…京都で過ごした大学生活
--大学で京都での生活が始まりましたが、まず京都のイメージを教えてください。
坂がない。
市街地は盆地だし、碁盤の目なんでどこへでも行きやすいし、チャリで立ちこぎとかしたことないくらい坂がない。
あとはおいしいラーメン屋さんがいっぱいある。いろんなところへ食べに行ってました。
--大学生活での思い出を教えてください。
鴨川を泳いだことです。
--泳いだ!?!?鴨川のどこらへんですか?
デルタから三条まで泳ぎました。
泳いだというか下ったんですけど。川の途中に小さな滝があって、それを超えるのが難しくて友達と二人でジャンプしたり滑り落ちたりして何とか滝を超えたんです。
終わったら膝を怪我していて、切り傷にばい菌が入ったのかその後しばらく傷が治らず、引きずることになりました。
今はもう大丈夫なんですけどあれは辛かったです(笑)。
--京都での学生生活の中で、京都の学生で音楽をやっていてよかったと思えるエピソードはありますか?
京都のライブハウスにはよく行っていたので、店長さんとしゃべれるようになったことです。
あと、学生の頃は*京都大作戦に毎年行っていたんですけど、2年前に僕らが初めて大作戦に出させていただいた時に、当時学生の時に観たあのステージの裏側を見れたり、実際にそのステージに立てた感動はすごい大きくて。
それは京都で学生をやって、京都で音楽をやっていたからだと思いますね。
(*京都大作戦とは…毎年7月にロックバンドの10-FEETが企画して行われる京都府立山城総合運動公園(太陽が丘)特設野外ステージにて開催される野外ロックフェスティバル)
--京都大学ではどんなことを学びましたか?
僕は音楽をやっていたので勉強に集中できていなかった時期もあったんですけど、音楽でやっていきたいと親に言った際に、せめて卒業はしてくれと言われたので、卒業研究に関してはすごい熱心に取り組みました。
京都大学に原子力研究所という、関西では唯一原子力について勉強できる研究所があって、短い期間でしたがそこで原子をぶつけて反応を見たり、がん細胞を殺す研究の末端を見せてもらったり、化学の技術の最先端を学びました。
僕らの学年からは二人しか入れないような研究室で、他の学生が経験できない貴重な勉強をさせていただきました。
--就職の道もあったとは思いますが、あきらさんは将来の道で悩まれたりしましたか?
僕はムチャクチャ悩みましたね。
やっぱり音楽で食っていくってすごい難しいことだと思います。
周りの友達もどんどん就職が決まっていって、しかもいいところに決まっていくから「お前いつまでやってんねん」みたいな目も何となく感じていて。
僕ら(のバンド)も全然芽が出ていなかったし、でも「いつかいけるやろ」という根拠のない自信だけで当時は乗り切っていました。
でも、就活をしなかったのは自分の中では音楽というやりたいことがあって、その音楽を続けていくことが自分の人生の喜びやなっていうのを当時すごい考えていて、まあ卒業さえしていれば後々生きてはいけるかな、人間力もないほうじゃないんで何かと生活できるだろうって(笑)。
ちょっと楽観的でしたけど、それよりもやりたいことを捨てることのほうが嫌だったので就活はしなかったです。
これからの活動とあきらさんからの読者へのメッセージ
--現在メディア露出等も多くなり大躍進されていると思いますが、現在や今後の活動において何か思うことや考えていることはありますか?
メチャクチャあります。
もちろん規模も広げたいし多くの人に聴いてもらいたい。
僕がそうであったようにいろんな音楽に支えられたし勇気づけられたし、テンションが上がったりみんなと盛り上がる曲があったり…そういう多くの人の人生の一部に音楽ってなると思っています。
今はフェスとかライブとかいっぱいあるし、体験もあるじゃないですか。
ただ聴くだけじゃなくて、その日が楽しかったねっていう思い出にもなると思うので。
より多くの人の人生に関わりたいなって思っています。
次のページはあきらさんからのメッセージ
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