京都とご縁をいただいて
もくじ
『捉え方』を変える
私が通う同志社大学は、赤レンガの建物が特徴的な大学です。
私はこの赤レンガの建物にトータル10年通う学生生活となりました。
というのも、中学・高校も同志社の系列校の出身だからです。中高もすべて赤レンガの校舎でした。(赤レンガ、なかなか気に入っています。)
そのため、先輩等を通じて大学の話を聞く機会が多く、私は京都にある大学に行くのか~と中学生の頃からぼんやり思っていました。
高校生ともなると、いわゆる大学受験をしないということは特殊なのだと改めて実感しつつも、目の前のことに追われるうちに、気が付けば京都での大学生活が始まっていました。
それから2年経ち、日々を過ごす中で、京都での大学生活に対する考え方は少しずつ変化していきました。
晴れて大学生となったものの、系列校出身というのは指定校推薦とも違う微妙な立場のように感じ、入学当初は気後れする気持ちもありました。また、受験に関する話にはついていけませんでしたし、学力の差を感じることも、しばしばありました。
しかし、大学生活を送る中で色々な人や出来事に出会い、大学名や入学方法ではなく、大学でどう過ごすのか、どんな気持ちで何を考えて過ごすのかが大切なのだと思うようになりました。
そんな気持ちの変化により、今ではそれもご縁だったのだと肯定することができる日々を送れています。
捉え方ひとつで世界が変わることを実感することができたのは、流れるように始まった京都での大学生活のおかげかもしれません。
ビバ自宅生
突然ですが、下宿・一人暮らし・シェアハウス…このような響きにとても憧れませんか?
-私は憧れていました。
しかし、1時間半あれば大学へ行けてしまう場所に自宅があるため、費用や契約などの現実的な面から、その憧れは実現しませんでした。
そこで、ここでも捉え方を変えようと、下宿したいと思った理由を書き出してみました。
すると、私の場合、自宅であっても努力すればそれを叶えられることが多かったのです。
例えば料理をすること、友達とお泊りすること…。もちろん下宿の方が思い切り自由にできますが、家で親と一緒に台所に立ったり、たくさんの下宿生の家にお邪魔したりと、違う方法で実現させています。
そこからは自宅生を楽しんでやろうと決心。
特に、家族と過ごす時間や会話を大切にしようと思えたことで、自分の将来を家族という側面からも意識的に考えるようになりました。
大阪市内の自宅から1時間半かけて京都の大学に通うことで、毎日、京都まで小旅行している気分です。
自宅から京都の大学に通う。これもなかなか悪くないものです。
たかが二年、されど二年。
気が付けばもう大学3回生。(関西の大学では〇回生と言います)
授業数も減り、“就職活動”なんて言葉も聞こえ出す時期になってしまいました。
大学生活ももう折り返し地点を越えました。
しかし悲観はしていません。
残りをどう過ごしてやろうかワクワクしています。
ただただ楽しく過ごした大学1回生。周りと比べてしまい、苦しかった大学2回生。
その2年があったから、心新たな今の自分がいます。
そして「何をするにも遅くない」と思って、この京都学生広報部にも入部。
様々な大学の学生と活動することで、学生のまち・京都を今までより強く感じることができています。
“求めなさい。そうすれば、与えられる。
探しなさい。そうすれば、見つかる。
門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。”
〈 キリスト教の同志社大学らしく聖書を引用してみました。〉
京都は学生が多く、他の土地よりも新たなことに踏み出すチャンスがたくさんあるように思います。たかが二年・されど二年です。
改めまして、京都で大学生活を送るという事
京都は学生のまちと言われます。
しかしそれは大学を中心に発展した街ではなく、大学と地域が一緒にあることが自然な街という雰囲気に近いと思います。
これはあくまで私の感覚ですが、この京都という土地で学んでいる学生として、様々なところから“見守られている/見られている”感じがするのです。
地域の方々や卒業生の方々はもちろんのこと、古(いにしえ)の都と言われる京都の歴史そのもの、過去に京都に関わった人たち、京都市内を取り囲む山々、さらに言えば京都で沢山見かけるお地蔵さんや屋根の上にいる鍾馗(しょうき)さん(※)までもが、私たちを“京都の学生”として見ている気がします。
だから私は、何か特別な京都らしいことをしなくても、この“京都”という土地で大学生として過ごしている事自体が、とても特別で素敵なことだと思っています。
京都の空気に触れた4年間が私の中で「なんかいい時間やったな」と思えたら、もう万々歳です。
京都での大学生活を送る中で捉え方を変えることができ、今は京都で大学生活を送れることが嬉しくて仕方ありません。残りの学生生活も、京都で学べることに感謝して過ごしたいと思います。
※鍾馗(しょうき)さん・・魔除け・火除けの神様
(同志社大学 社会学部 岩崎亜美)