インタビュー

“分からないけど、グサッと突き刺さる”インタビュー。【市立芸大学長・哲学者、鷲田清一さん】 ①学生時代・制服編

“分からないけど、グサッと突き刺さる”インタビュー。【市立芸大学長・哲学者、鷲田清一さん】 ①学生時代・制服編
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こんにちは。5月もそろそろ終わりですがみなさん新しい環境にはもう慣れましたか?

今回、京都学生広報部は京都出身の哲学者で、京都市立芸術大学(以下、市立芸大)学長の鷲田清一(わしだ きよかず)さんにインタビューさせていただきました。ファッションの研究をされていることで有名ですが、著書を読んだことがなくても、朝日新聞社の連載や国語の教科書などで名前を目にしたことがある方も多いのでは?そんなマルチに活躍されている鷲田さんに学生時代のことや、鷲田さん独自の視点でみた制服、市立芸大、学生生活について語っていただきました!前編は、学生時代・制服についてです。

学生時代編:「勉強は“してへんから、覚えてない”って感じです。」

―鷲田さんは中高生の頃はどんな生徒でしたか?

真似してもらったら困る学生でしたね(笑)。中学校に入ると小学校の時よりも活動の範囲が広がるし、思春期に入って今まで持ってなかった情熱や欲望が渦巻くでしょう?だから、勉強以外にたくさんやりたいことができて、成績はずっと下がりっぱなし。内部の高校に進学して受験勉強もほとんどしてなかったから、その後も下がっていって高校2年生の時が最悪の成績でしたね。勉強に関しては、“してへんから、覚えてない”って感じです。でも、それ以外の活動はいろいろなことをしました。

―具体的にはどういう活動をされていたのでしょうか?

中学生の頃、スポーツはバレーボール、生徒会では全学集会の議長や生徒会長、他にもつぶれかけていた新聞部を立て直して部長をやったりもしました。気がついたら生徒会のことがメインだったかな。中学の終わりごろには、エレキ(エレキギター)がはやったんです。ベンチャーズとかビートルズとかロックバンドがちょうど入ってきたころで。そうしたらそれにのぼせてしまって、高校2年生まではかなり熱中していました。10分の休み時間でも物理教室とかに機材を置いて演奏して、しょっちゅう怒られていましたね(笑)。あと、文芸部にも入っていて、詩を書いたりドラマの脚本を書いたりもしていました。本当に勉強以外のことばっかりです。

―活動の振れ幅が大きくて驚きました…!好奇心旺盛な学生だったんですね。

そうですね、夢中でやっていました。でも高校3年生では、勉強一筋でしたよ。まだそのころは何がしたいとかはよくわからなかったし、とりあえず大きい大学に行こうと思って京都大学を目指したんです。当時は今以上に私立大学の学費が高くて、親には「国立大学しかダメ。浪人もダメ。」って言われていたから。でも成績が悪かったので、担任の先生には「二浪しても入れんわ。」って笑われました。それで頭にきて、「あいつ見返したろ!」と急に勉強するようになったんです。他のことは全部やめて、ギターも売って…。僕のギター、ベンチャーズ全員のサイン入っていたんだけどね!極端でしょ(笑)。

結果、京都大学に合格しました。

―確かに!(笑)。でも、それだけ集中力があったってことですよね。

でも、数学は最低のクラスでしたよ。僕は文系に行きたかったけど、“工学部卒=いい就職先”と思い込んでいた両親に工学部に行けと言われて、理系のクラスに入っていたんです。数学は苦手だったし、文系受験にいらないところまでやるから、授業中はずっと黒板を眺めるだけでした。結局受けたのは文学部。両親を説得して“学費は自分で払う”という条件で通っていました。

―高校卒業までは、将来の目標とかは特になかったんですか?

そうですね。何がしたいかはよく分からなかったです。ただ、文学部に入りたいと思ったのは一番間口が広かったから。文学部は小さく見えるけど、哲学、音楽、芸術、歴史、言語…と実は大学の中で一番間口が広い学部なんです。エレキも詩も、全部、文学部にあるしね!誰でもそうだと思うけど、中高生の時は何がしたいか分からなくてあがいていました。自分が何をやっているのかは分からないけど、何でもかんでも手を出してみるという時期だったなと思いますね。

―鷲田さんは、大学をどのようなところだと捉えていらっしゃいますか?

当時と今とで全然違いますね。大学に入った時は、自分でしたいことができる自由なところに来たんだという開放感がありました。20歳までは学問とはあまり縁がなかったかな(笑)。僕らの世代は入った途端にストライキが始まって、2年間ほとんど授業を受けられなかったんです。代わりに、教室で寝泊まりしながら、みんなで読書会をしていました。それまで読んだことがなかった分厚くて難しい本をいろいろ読みましたね。哲学とか思想系の本も。大学の授業は、先生の話を聞いて試験を通りさえすればいいじゃないですか。でも、読書会は“友達に馬鹿にされたくない!”って気持ちがあったから、家でものすごく準備して臨んでいました。辞書をたくさん引いて、論破されないように考えて…、本当にすごく鍛えられましたね。他にも、もう一度バンド活動を始めたり、美術部に入って絵を本格的に始めたり。あと、友達の下宿に行ってしゃべったことも楽しかった!

でも、勉強してなかったことを損したとは全然思ってないの!いっぱいポケットができて、人脈が広がったから。例えばバンド活動ひとつとっても、音楽の知識をつけて、腕を磨いて、演奏会のためにバイトしてお金を貯めて、それから場所の確保も自分たちでやらないといけないでしょ?学外の人と関わる機会がたくさんあったんです。美術の方に行くとまた全然違うつながりがあって、学部も年齢もやっていることも全く違う人たちと、いろいろなところで知り合うことができました。

僕は最終的には哲学をやることになったけど、大学時代の友達は哲学と関係ない人ばっかりですね。哲学ってテーマに限定がなくて、ありとあらゆることを考える学問でしょう?社会や歴史や自然や芸術や医療や論理や宇宙のことだって考えるんです。テーマを絞って研究している人もいるけれども、僕の場合は中学・高校でいろんなことに手を出していた感触のようなものが残っていて、哲学でもいろいろなことを論じてきたし、エッセイとか評論でも様々なことを書いてきました。知識として知っているだけでなく、若い時に実際にいろんな場所に身を置いていたことが、今全部活きているような気がします。

―なるほど。当時は、自由・開放感が大きかったけれども、その時やっていたことが全部引き出しになって、今はお仕事にも生きているという感じなんですね!

「制服論争なんてものは、ばかばかしい。」

―鷲田さんはファッションの研究もされていますが、学校の制服についてはどのように考えていらっしゃいますか?

僕は昔から、私服は全部制服だと思っているんです。服も靴もヘアスタイルもみんな同じような感じにしているじゃないですか。ジャケットかセーターかシャツか、みたいに選択肢が少ない中から選ぶしかないでしょう?それに男の人はズボン、女の人はスカートっていう“現代社会の性の制服”に抵抗せず身につけているんです。それなのに、制服賛成とか反対とか議論しているのが不思議でしょうがなくて、「じゃあ、まずその制服を脱ごうよ。」って言いたくなる(笑)。

それよりも面白いなと思うのは、京都のとある高校の卒業式に浴衣を着てきた生徒を教頭先生が怒ったっていう話。その時の先生の怒り方が、「浴衣はこんなシーズンに着るもんじゃない!」だったんです。

―浴衣を着てきたことではなく、浴衣を着る時期について怒ったということですね。

そうそう。“みんなと一緒じゃない”とか、“卒業式っぽくない”から怒ったんじゃないっていうのがいいなーと思ったんです。あと、京都の学校にはほとんど制服がないけど、それもすごいことだと思う。だって、制服にしなかったらお金がかかるじゃないですか。思春期の子供にとって、毎日同じ服って絶対嫌だろうし。それでも、京都の親はお金のことよりも身なりについて考えざるを得ないことを良しとしたんです。京都の文化だなと思いますね。

―確かに、私の出身地である熊本には制服がない学校はほとんどないので、京都に来た時は衝撃的でした!

関西では神戸が一番ファッショナブルな街だと思うけど、意外と中高の制服には厳しかったりするしね。京都も、修学旅行の季節は制服を着た生徒がたくさんいますけど、地元の子は制服がないからすぐ分かるんですよね。多分彼らは、制服がなくて自由であることに優越感を持っているんじゃないかな?そういうところも京都に生まれたプライドみたいなものにつながっているのかなと思いますね。

学生時代・制服編はここまで!後編の市立芸大・学生生活編もぜひご覧ください!

(文:同志社女子大学 生活科学部 呉原かれん)

(取材協力:立命館大学 産業社会学部 宇高浩嗣)

(写真:京都産業大学 文化学部 石永 路人)

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かれんちゃん

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卒業生が執筆した記事はかれんが紹介しているよ!