修学旅行で京都に恋をした
もくじ
田舎の子と京都
私が初めて京都に来たのは中学校の修学旅行だった。
故郷が福島県の田舎の私にとって京都という場所は外国のようで、街の雰囲気も、京ことばもとても新鮮であった。
寺社仏閣と自然、近代的な街並みが調和した京都を歩き回っていると、だんだんと京都に惹かれていく自分がいた。
修学旅行から帰ってきた後、京都に住みたいという気持ちは変わらず、インターネットで「大学」、学びたい分野であった「外国語」、そして住みたい「京都」というキーワードを検索した。
そして一番上に出てきた「京都外国語大学」に進学するとその時決意した。
高校に入学しても京都への進学は諦めなかった。
地元の多くの人たちは東北に残るか、関東へ進学することが多い。
そのせいか友達や先生に東北に残るか関東に行けと言われた。
しかし京都への強い気持ちは変わらず、京都にある大学のパンフレットを机の周りに並べて反抗するほどだった。
そして京都の大学行きが認められ、京都外国語大学の試験に合格し、長年抱いた憧れの京都住みが決まった。
一人暮らしで感じた京都
京都を楽しんでやる。
そう心に決めたのはホームシックに陥っていた時だった。
知り合いもいない、馴染みのものも無い、言葉が時々分からない京都での生活は、楽しみにしていたにも関わらず、とても辛かった。
福島に帰りたいと思っていたある日、偶然アパートの隣部屋に住む専門学校に通う一つ上の先輩が同じ福島県出身だと分かり仲良くなった。
その先輩にあるお寺の夜間拝観に連れていってもらった。京都暮らしをしてから初めて外に出た。
お寺で見た桜は美しく、凛々しいものだった。その時、自分は今京都に住んでいると実感した。
京都には心惹かれるものがほかにもあるかもしれない、暗くなっていてはつまらない。
そう思った私は誰よりも京都を楽しんでやると決めた。
新しい京都との出会い
清水寺の舞台。金色に輝く鹿苑寺。鳥居が続く伏見稲荷大社。
有名な観光スポットは決意の後すぐに向かった。
京町家が並ぶ祇園に、竹林が広がる嵯峨野も歩き回った。私にとってこれらが京都だと思っていた。
しかし、ある2つの場所が私の京都へのイメージを壊した。
それは明治、大正の建築が残り色濃くモダンな雰囲気が流れる烏丸通、京都の大学生で賑わう河原町通だ。
以前まで「和風建築が並び、着物を着た人が石畳を歩く」というイメージを抱いていたが、烏丸通と河原町通はイメージしていた京都からかけ離れていた姿であった。
楽しんでやると決めて京都を歩き回ったからこそ出会えた本物の京都の景色だった。
雑誌や映像では味わえない本物の京都の雰囲気を自分の肌で感じることができた。
東京遷都後、京都再興を感じさせる烏丸通、そして学生街として君臨する京都を感じさせる河原町通は私にとって京都との新しい出会いだった。
あの修学旅行の時と同じくらい、京都にまた惹かれていった。
京都の大学生として
「京都を楽しんでやる」という決意は私を変えた。
大学では京都について深く調べることができる授業を選び、学んだ。
そして大学でできた友達と京都観光をして日々色んな京都と出会っている。
学外では2つのサークル活動を行い、京都の色んな大学 に友達がいる状態になった。
自分の通う大学以外にも友達ができるとは、京都に来た当時思ってもいなかっただろう。
京都には他大の人と簡単につながる環境が整っていた。
一歩踏み出せば簡単に京都市内の大学生と知り合うことができる。
河原町や四条を歩けば知り合いに会ってしまうほどだ。
東北に残っても、関東に進学しても友達はでき、それなりに楽しんでいたと思う。
しかし、京都だから楽しめるものがあり、京都に来たからこそ出会える友達や機会があった。
そして、烏丸通と河原町通との出会いによって京都を深く知りたいという気持ちが生まれ、今は京菓子、伝統産業に京ことば、そして京都の歴史 について自分で勉強をしている。
色んな人と出会い、友達ができ、新しいことを長い歴史を見てきた京都で経験している。
私は京都をもっと、誰よりも楽しんで、誰よりも好きになっていきたい。
(京都外国語大学 外国語学部 阿部拓海)