【十夜フェスat宝蔵寺】念仏を唱えるロボットに会いに行ったら心に響く話を聞けた
2021年にお寺の住職が過労死。そのことによって町の風紀が乱れた。それを救うために2040年からやってきた謎の集団、「A.Uコーポレーション」。彼らは着ると勝手に念仏を唱えられるようになるスーツを開発した。そしてそのスーツを着せた、念仏を唱える「ボーズ」を大量に派遣し、住職を過労死から救う―。
11/10、十夜フェスのイベントに行ってきた。全国の浄土宗寺院では10月から11月にかけて十夜法要という念仏会が行われている。十夜フェスは、「古来より脈々と受け継がれてきた慣わしや無形文化継承のあり方を今、この時代に表現したい」という学生の熱い想いから始まった。アートと法要という一見無関係な2つのものをコラボレーションすることで、舞台となる5つのお寺を異“寺”元空間にしたのがこの十夜フェスだ。今回の舞台は宝蔵寺。裏寺町にたたずむ、伊藤若冲ゆかりのお寺だ。
出迎えてくれたのはプチプチ素材のビニールの羽織を身に着けた「A.Uコーポレーション」の名札をつけた実行委員の方々。
少しばかり異様な格好にちょっと戸惑う私たち…
本堂に入ると薄暗い中に、念仏を唱えるお坊さんが。木魚のたたき方が少しぎこちない?と思って近づいてみると…
あれ?人間じゃない!?
「これ、お坊さんのロボットなんです」
驚く私たちを後目に、淡々と説明してくださるスタッフさん。
隣の部屋に行くと、ロボット制作の作業プロセスの展示。
そして真ん中にはホログラムによって映し出された先ほどのロボットのお坊さんの映像が。
一体これはどんな展示なんだろう?興味をそそられた私たちはスタッフの大学生へのインタビューを決行することにした。
もくじ
十夜フェス実行委員、中井友路さんに話を聞いてみた
──「A.Uコーポレーション」って何なんですか?
中井さん:この宝蔵寺のコンセプトは、未来から来た僕たち「A.Uコーポレーション」っていう集団が、忙しすぎて過労死してしまうこのお寺のご住職を救うっていうものなんです。このプチプチ素材の上着は、着ると勝手に念仏を唱えられるようになるスーツっていう設定です。このスーツを開発したのがA.Uコーポレーションで、このスーツを着て念仏を唱えられるようになったロボット「ボーズ」がご住職を過労死から救うんです。
──なるほど~!そんなコンセプトがあったんですね!面白い(笑)。ほかのお寺とは違う宝蔵寺さんならではの演出は?
中井さん:そもそもこのようなロボットを作ったこと自体が英裕さん(宝蔵寺のご住職)とのお話から始まったんです。宝蔵寺さんでやると決まった時の顔合わせで、ぼそっと「今、ロボットというか機械によって人間の職業がどんどん失われている。」とつぶやいて、「じゃあ、英裕さんのロボットを作りますか!」って。「お寺にまでロボットが侵食したときに人は何を思うのか、お坊さんまでロボットにとって代わられたときに人は何を思うのか」というテーマでやっていこうということになりました。ちなみに本堂で念仏を唱えているロボットの「A.Uさん」は英裕さんの名前からきているんですよ。「A.Uコーポレーション」もそうです。
──「A.Uさん」を作るのにどれくらいの時間がかかったんですか?
中井さん:夏ぐらいから型をとってそこから造形しました。その作業につきっきりというわけではなかったので2か月くらいはかかりました。それで南無阿弥陀仏の録音とかもして。
──さっき、ロボットがしゃべってましたよね?
中井さん:あいうえおかきくけこさしすせそ…を全部録って切り貼りしたらロボットっぽいよねってなって、それを再生しています。
──いちばんこだわった点って何ですか。
中井さん:やっぱりロボットは一番いいものを作ろうよってなりました。このロボットは歯車式のローテクノロジーです。もとは動力・モーターによる電子工作的な動きを想定していたんですけど、思いのほか木魚をたたくばちが重かったり、いろいろあって原始的な工作になりました。だから木魚をたたくポコポコという音より、ジーっていう音のほうがうるさいっていう(笑)。
いつしか話は中井さんの過去・将来の話へ…
十夜フェス全体のアートディレクターと宝蔵寺のディレクターを兼任しているという中井さん。実は京都市立芸術大学の学生だ。
──将来もこういうイベントの運営をしたいと思っているんですか?
中井さん:イベントだけの運営に関わらず、総合芸術分野と言われているようなものと関わりたいです。今はダンスパフォーマンスやファッションショーの企画演出をしたりしています。大学の授業ではなく、自分の企画でやっているんですよ。
もともとディズニーの作品づくりにあこがれていたという中井さん。その憧れが今の大学生活に生きているそう。
──小さいころから芸術に興味があったんですか?
中井さん:もともとは映像・アニメーションに興味がありました。ディズニーやピクサーがすごく好きで、本編に見飽きたら特典映像ばっかり見てたんです。そのときに、『バンビ』では小鹿をわざわざ呼んできてアニメーターたちが1、2週間かけてひたすらスケッチして、あのアニメーションができているって知って。そこでイメージを膨らませて絵を描いていくっていうプロセスであれだけ面白いことをやれるのか!と思ったのがきっかけでした。
──大学ではどんなことをやっているんですか?
中井さん:最初は大学で映像、アニメーション関係の勉強をしたいと考えていたんですけど、一通り自分の糧になることをやってから映像に戻るのもありだなと思って、京都市立芸術大学の構想設計という専攻に入りました。この専攻は「あなたは何がやりたいですか?やってきたことを私たちに見せてください、それが単位になります」って感じなんです。1回生の時は夏休みにグループでアニメーションを3本作りました。ディズニーみたいな体制を何とか作れないかと思って(笑)。自分ひとりじゃ何もできないし、アニメーションや編集、キャラクターデザインそれぞれに特化していたわけでもないけど、知識を広く浅くは持っているからそれをつなぐことはできる。その間に入ることによって出来上がるもののクオリティーが上がるんだったら、そういうのが僕の役割なのかなって。結局ディレクター向きだったんだなって思います。
しかし途中から自分のしたいことがわからなくなった時期も。
──小さいころから今までずっと同じ夢を追い続けていたんですか。
中井さん:いや、いったん高校の時に離れました。自分のやりたいことは、別にディズニーじゃなくてもいいやって思い始めたんです。でもディズニーの作品づくりのやり方は自分の中で持っておきたいっていうのがありました。民俗学や文化人類学を学んで、アウトプットするための作業を大学でしようかなって思ったんですけど、それは逃げなのかなって気もして…。その頃は、行きたかった高校に落ちて、私学の男子校に行って、何も楽しくなかったです。勉強も放棄して、でもお金を親に出してもらってるのに、とかいろいろ思って。そこらへんは暗い時期でした。脚本をひたすら書いてましたね。誰とも関わりたくなかったんです。
そんな中井さんにある転機が訪れた。
中井さん:高校2年生、3年生と進級したときに面白い先生に出会ったんです。この人の前では寝るとかできないなって思えて、勉強をもう一回し始めて、ドーンと落ちていた反動でまじめにちゃんと考えるようになりました。それで自分のやりたいことをもう一度考えたときに、僕はクリエイティブなことを考えている人たちと4年間一緒にやっていきたいと思って芸大にしようと決め、高校3年生の12月に鞍替えをしました。だからその高校の先生に出会ってよかったなって思うんです。
──どんな先生だったんですか?
中井さん:英語の先生だったんですけど、めっちゃ面白いんです。「君は」を「ちみは」とか言っちゃう先生で(笑)。例えば単語一つとってもこういう時代背景の中でどう変わっていったとか、地域の国語の話になったりとか、偉人の話を引用してきたり。その偉人っていうのも数学者とか哲学者、いろんなところから引っ張ってくる。その知識のつながり方・横断とかが、英語の先生じゃないというか、英語を学んでいくなかでもっと大きなことを知りなさいって言っている気がして。こういう人になりたいと思って、まじめに勉強するようになりました。
──中高生時代に影響を与えてくれた恩師がいるって、すごく大事なことなんですね。インタビュー受けてくださってありがとうございました!
まとめ
「お寺」と「芸術」。一見関わりがなさそうな2つのものが十夜フェスでは絶妙にマッチしたコラボ―レーションを見せ、人々を魅了していた。その裏側にはたくさんの実行委員の方々が、様々な思いを抱えながら運営をしている。同じ大学生ながら、1つのイベントにかける熱い情熱、自分のやりたいことを追い求める姿が、素直にかっこいいと思えた。次はどんなイベントになるんだろう。期待に胸が高鳴る広報部員であった。
「ほかの十夜フェスの様子も知りたい!」という方はこちらの記事をご覧ください!
https://kotocollege.jp/archives/4433
【十夜フェス公式HP】http://ju-ya.jp/
(京都大学 法学部 渡邊彩華)