インタビュー

あなたの知らない和菓子の世界!甘春堂6代目当主・木ノ下さんにインタビュー【前編】

あなたの知らない和菓子の世界!甘春堂6代目当主・木ノ下さんにインタビュー【前編】
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学生の私たちにとって、どこか特別で、ちょっぴり背伸びしたくなる存在の和菓子。
今回は、京都でお菓子作りを代々営んできた、甘春堂6代目当主の木ノ下善正さんにお話を伺いました。
京都の歴史の中で紡がれてきた和菓子の伝統や、普段はなかなか聞くことのない和菓子作りのお話にも迫ります!
前編では、甘春堂の歴史や和菓子のデザインについてなどについて詳しくお聞きしました。

生まれてから死ぬまでお菓子

――まず、甘春堂の歴史について教えていただけますか。

甘春堂として商売を始めて160年くらい経ちました。それ以前は私たちはもともと宿屋やったんです。
すぐそこに方広寺(ほうこうじ)っていうお寺さんがあって、そこに昔、京の大仏があったんです。方広寺から西は千本通までの道を正面通といいます。
奈良から来る人も伏見から来る人もいてお上りさんが多いですから、正面通の両サイドに宿屋がたくさんありました。
京都のまちは過去に2回、中京から上京のお公家さんのまちが応仁の乱で、下京の全域が蛤御門の変(はまぐりごもんのへん)で焼けました。
私たちの旅館も蛤御門の変の火事で焼けたんですが、家が半分残っていたのでお菓子屋を始めたんです。
下京のお店は創業慶応何年っていうお店が多いのはそういうことです。

――確かに、考えてみれば慶応年間に創業したお店が付近に集まっているイメージがありますね。京都という場所でお菓子作りをすることのメリットはありますか。

京都はお茶の文化があるので、お茶席が発展しているんですよ。
金沢とか松江とか他の地域でもそうですが、お茶の文化があるところでは和菓子も発展しやすいと思います。

――木ノ下さん自身は、これまでどういう思いで続けてこられたのでしょうか。

私はね、後継ぎとして生まれて「おぎゃあ」と言ったときからお菓子なんですよ。
ほんで死ぬまでお菓子です。
人の3倍も4倍もお菓子に触れてきていますからね、どうひっくり返ってもお菓子なんです(笑)。

――京都のまちにはたくさんの和菓子屋さんがあると思いますが、甘春堂さんならではの強みや、長い間続けるにあたっての秘策はなんですか?

私の親父もおじいちゃんも、お菓子に関してはなんでも自分でこしらえろって言っていたんです。
最初は団子、それからお茶席、お寺さん用と、全部やりなさいと。その中で時代に合うたものをやっていると、お菓子屋として困らへんよって。
だからなんでも作りますよ。でも今やったらお茶席のお干菓子をたくさん作っています。
生き残っていくことは大変やけど、秘策と言ったら本質をとらえてそれを一生懸命やることやね。表面だけそれらしく見えてもしゃあない、本質を一生懸命やる、それしかないね。

和菓子のデザインの違い

皆さん、あんこってどれくらい持つと思いますか?

――2、3日とかですか…?

とんでもない、あんこは1週間以上持つんですよ。
皆さんは冷蔵庫がなかったらお菓子食べられへんと思っているでしょう。
(苺大福など)果物をそのままあんに包んだ生菓子は最近できたもので、これまでの伝統的な和菓子の生菓子(おはぎやういろうなど)は「なま」といっても全部火が通っています。
ただ、おはぎの生地は作り方によりますが、2日から3日くらいしか持たないのでそこに消費期限を合わせているだけなんです。

――そんなに持つものなんですね。冷蔵庫に入れないと悪くなってしまうイメージが強かったので驚きました。和菓子を受け継いできた中で、変化してきたものと変わらないものにはどんなものがありますか。

食べ物は時代につれて正直どんどん変わってきています。和菓子については、昔に比べて味つけがあっさりになってきている。
でも変わらないもの言うたら羊羹です。普通のお菓子のあんこの糖度は55〜60度、羊羹の糖度は75〜80度と8割がお砂糖なんです。
昭和初期には冷蔵庫っていうのがありませんでしたから、(砂糖は天然の保存料ですから)暑くてもカビないようにお砂糖をたくさん放り込んでいるんです。冷蔵庫がない時代から食べられるお菓子が和菓子でした。

――なるほど。昔と比べると、洋菓子を食べる人が多い気がするのですが、実際はどうなんでしょうか。

若い人は、安くて美味しい洋菓子をよく食べますよね。でも実はもっと年齢の低い子供は、結構和菓子が好きなんですよ。
それに、日本人は海外の方に比べたら(体質的に)甘さに慣れていないため、たくさん食べると太る前に糖尿病になりやすいといわれています。
これは和菓子屋の自信かもしれないですが、歳を取ったらいつかみんな和菓子に帰ってくると思っています。


――この和菓子、すごく可愛い形ですね。

皆さん和菓子言うたら見た目や形ばかり気にしておられますけども、形はあくまでも形でしかないんですよ。
我々和菓子職人としては、「これは食べもんです」が原点です。和菓子はまずは「食品」であって粘土細工とは違うんです。
だから美味しくなければ、なんぼ形が良うてもダメです。
今の方はまたちょっと変わっていますよね。「映え」が大事やいうて。
昔の形はもっと単純でした。今の方は「映え」やいうて、凝って凝って凝り倒すんですよ。
でもね、京都は違うんです。「とことんやって、ちょっと引く」。最後の引き算が大切で、それが「粋」なんです。

デザインのお話をさせていただくと、上生菓子のデザインには京風というのと江戸風というのがあります。
江戸風は割と写実的で、京風は抽象的です。もとからそういう作り方をするんです。
椿を表したいなと思ったら、江戸風は椿の葉をつけます。「これは椿や」とわかりやすく見せて、他のものには見えないようにします。
京風の場合は、「椿かな?」っていう抽象的なものがいいんです。

――どうしてそんな違いが生まれたんでしょうか。

もともとの文化が違います。
京風というものは公家文化の「遊び」から始まっているんですよ。
江戸風は武家文化だから、なんでもきちっと一生懸命やったんです。
貴族の方は歌から始まりますよね。歌や教養を身につけて、その教養の歌の世界をお菓子にしようっていうことから始まっているんですよ。
「遊び心」でやっているものと、まじめに一生懸命やっているものとでは、本質的に違うんです。

――なるほど、確かに言われてみるとすごく納得できます。

おわりに

前編では、木ノ下さんご自身のお話や、文化の違いから生まれた和菓子のデザインの違いなど、様々なお話を伺ってきました。
皆さんは、あんこが常温で1週間以上も持つことを知っていましたか?

後編も、木ノ下さんが復活させた和菓子作りの技術や、和菓子教室を始めた意外な経緯など、盛り沢山でお届けします!

後編は8月5日に公開します!

(文:同志社大学文化情報学部 齊藤夏帆)
(撮影:同志社大学商学部 村上紗都)
(取材:龍谷大学政策学部 大神芽吹)
(取材:龍谷大学社会学部 武居美伶)

この記事を書いた学生

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齊藤夏帆

同志社大学 文化情報学部

かほじゃなくてなつほです。主食は音楽。