京都か東京か、迷っている君へ。千葉出身の私が「京都推し」で大学編入した理由

私は4月に千葉県から京都の大学に編入したのですが、頻繁に「どうして京都に来たの?」と聞かれます。
今日は私が京都に来た理由を振り返ってみたいと思います。
もくじ
初めての京都は「コンパクト!」な衝撃
私が初めて京都の地に足を踏み入れたのは、中学校の修学旅行でした。生まれも育ちも千葉県、見渡す限り平野が広がり、どこへ行くにも電車や車が必須な環境で育った私にとって、京都は教科書やテレビで見る「古都」「歴史の街」という、どこか遠い世界のイメージ。正直、「伝統的でちょっと敷居が高い場所なのかな」なんて思っていました。
でも、実際に京都駅に降り立ち、バスで市内を巡り始めると、その第一印象は良い意味で裏切られました。「なんてコンパクトな街なんだろう!」というのが、素直な感想だったと思います。千葉では、隣町へ行くのにも「さて、どうやって行こうか」と考えるのが当たり前で、隣の駅まで行こうものなら車は必須、自転車で行けば勇者扱い、バスすら日に数本みたいな感じです。それが京都では、主要な観光スポットが意外と近くにまとまっていて、バスや少しの徒歩で次々と見て回れる。自転車でスイスイと路地を駆け抜けていく地元の人々の姿も、なんだかとても軽やかで魅力的に見えました。碁盤の目と言われる街並みも、とても歩きやすく魅力的でした。この「ギュッとした中に、歴史と文化と日々の暮らしが息づいている感じ」が、私の心を強く掴んだ最初の瞬間でした。
なぜ東京ではなく、京都だったのか
進学先を考える時期になっても、あの修学旅行で感じた京都の魅力は、心のどこかに鮮明に残っていました。正直なところ、実家から近い東京の大学という選択肢も頭をよぎりましたが、なぜか強く惹かれることはありませんでした。週末に気軽に遊びに行ける距離だったこともあり、東京の目まぐるしいスピード感や、常に何かを「消費」しなくてはいけないような雰囲気に、少しだけ息苦しさを感じていたのかもしれません。「もちろん、東京には東京の魅力がたくさんあることは分かっているんだけど…」と前置きしつつも、当時の私は、もっとゆったりとした時間の中で、何かを見つけたり、感じたりできる場所を求めていたように思います。
その点、京都は私にとって「発見の街」でした。お金をかけなくても、ただ自分の足で歩くだけで、心が豊かになる瞬間にたくさん出会えるんです。ふらりと立ち寄った川辺や、小さなお寺の静謐な空気、軒先にさりげなく生けられた季節の花。夕暮れ時、東山に沈む夕日を眺めながらぼんやりするだけでも、なんだか満たされた気持ちになれる。そういう何気ない日常の風景一つひとつが、私にとっては宝物のように感じられたのです。大阪や神戸といった個性的な街にも電車一本で気軽に行ける関西圏の「程よい凝縮感」も、行動範囲を広げたい私にとっては大きな魅力でした。
住んでみて感じた京都の「!」なところ
そして、いよいよ始まった京都での新生活。実際に住んでみて、良い意味でも、そしてちょっとだけ試練の、たくさんの「!」がありました。
まず驚いたのは、やっぱり「暑さ」! 京都が盆地特有の気候で、夏は蒸し暑く、冬は底冷えすると聞いてはいましたが、4月の下旬だというのに真夏のような日差しが照りつけた日には、さすがに「これは…噂以上かもしれない…」と呆然としました。地元の人に聞くと「まだまだ序の口よ」と含みのある笑顔で言われ、今年の夏を無事に乗り切れるのか、今から少しドキドキしています。観光で数日訪れるのとは訳が違う、日々の生活としての暑さの洗礼を受ける覚悟を、今まさにしているところです。
でも、そんな暑さへの不安を吹き飛ばしてくれるような、嬉しい発見も数えきれないほどありました!特に私が声を大にして伝えたいのは、京都は「パン好きの天国」だということです! 千葉の実家の近所には個人経営のパン屋さんがほとんどなく、パンと言えばスーパーに併設しているパン屋で買うしか選択肢はありませんでした。それが京都では、少し歩けば個性豊かなパン屋さんが次から次へと現れるんです。昔ながらの素朴なパン屋さんから、ハード系のパンにこだわったお店、素材にこだわったお店まで、その多様性には本当に目を見張るばかり。しかも、どのお店も驚くほど美味しくて、お値段も手頃なのが嬉しいです!
今ではすっかりパンの虜になり、家の近所だけでも3軒のお気に入りを見つけました。毎週土曜日の朝は「パン屋さん巡りの日」と勝手に決めて、焼きたてのパンの香りに誘われるままに新しいお店を開拓したり、お気に入りのパンをリピートしたり。その日の気分で選んだパンとコーヒーを片手に、鴨川のほとりで読書をするなんていうのもやってみたいなと思っています。これは、京都に来て本当に良かったと思える、ささやかだけれど大きな幸せの一つです。
小さいけれど、奥深い。それが京都の魅力
京都に住んでみて改めて深く実感しているのは、「小さい街なのに、歩けば歩くほど新しい顔を見せてくれる、本当に奥深い場所だな」ということです。私の住んでいる場所から京都駅までは、地下鉄で20分もかかりません。でも、その駅を降りて少し路地に入るだけで、さっきまでの喧騒が嘘のように静かな住宅街が広がっていたり、歴史を感じさせる古いお寺がひっそりと佇んでいたりします。
東へ向かえば比叡山や東山の山並みが迫り、豊かな自然に触れることができる。かと思えば、祇園や河原町へ足を延ばせば、賑やかな繁華街が広がり、最新のトレンドにも触れられる。そして、京都駅周辺の近未来的なガラス張りの建築物や、そこに集う人々のエネルギーもまた、京都の新しい一面です。古いものと新しいもの、静けさと賑わい、自然と都市機能、そういった異なる要素が見事に調和しながら、このコンパクトなエリアにぎゅっと詰まっている。その多層的な魅力が、私を飽きさせない理由なんだと思います。
そういえば、最近見つけたお気に入りの場所は、大文字山です。初めて登った時は、正直「ちゃんとした山登りじゃん…!」と息が切れましたが、木々の間から時折見える京都市内の景色に励まされながら一歩一歩進み、ようやく辿り着いた火床からの眺めは、まさに筆舌に尽くしがたいものでした! 眼下に広がる京都の街並み、遠くに見える山々、そして吹き抜ける風の心地よさ。あの壮大なパノラマは、それまでの疲れをすっかり忘れさせてくれるほど。他のどんな展望台からも見ることのできない、特別な景色だと感じました。登り切った達成感も相まって、なんだか自分自身も少し強くなれたような気がしましたね(笑)。今度は、手作りのお弁当と温かい飲み物を持って、友達と一緒にピクニックをするのが目下の目標です。青空の下、あの絶景を眺めながら食べるごはんは、きっと格別でしょう。ちなみに、写真でよく見る大文字山の景色は「火床」という場所で、山頂とは少し距離があります。眺めは火床の方がよかったです(笑)。
京都に来て、私の中に生まれた変化
京都での生活は、私の中にたくさんの新しい変化をもたらしてくれています。一番大きな変化は、やはり「観光客の視点」と「住む人の視点」の両方を持つようになったことかもしれません。修学旅行や短い旅行で来ていた時は、有名な観光地の賑わいや人の多さも「お祭りみたいで楽しいな」くらいにしか感じていませんでした。でも、いざ住んでみると、毎日の生活の中でその混雑に直面することもあり、「うわ、今日もすごい人出だな…」と、ちょっとだけ圧倒されることもあります(笑)。
正直に言うと、最初の頃はごくたまにですが、「私は、このたくさんの観光客に紛れて、一体ここで何をしているんだろう?」なんて、ふと我に返るような瞬間もありました。でも、それもすぐに、この街で生活するということのリアルな一面として受け入れられるようになりました。だって、それ以上に素晴らしい出会いや発見が、この街には溢れているのですから。そして何より、京都はやっぱり、住めば住むほど味わい深い、良い街だと心から思います。
言葉の変化も、自分の中では大きな発見です。私はこれまで、いわゆる「標準語」と言われる東京近郊の言葉でずっと話してきたので、方言というものをあまり意識したことがありませんでした。それが京都に来てからは、大学の友人やアルバイト先の人、近所のお店の店員さんなど、周りの人たちが話す柔らかな関西弁に、いつの間にかすごく耳が慣れてきて、気づけば自分も微妙にイントネーションが引っ張られていることがあるんです。「~してはる」「~どすえ」なんて言葉はさすがにまだ使えませんが(笑)、ふとした相槌や語尾が、ほんのり関西風になっているのを感じると、なんだかおかしくて、でも少し嬉しくもあります。これも、この土地に少しずつ馴染んできている証拠なのかもしれません。
京都に来てまだ数ヶ月ですが、この街の魅力は本当に尽きることがありません。知れば知るほど、「もっと知りたい!」という好奇心が湧いてきて、残りの学生生活で京都の魅力をどれだけ味わい尽くせるのだろうかと、嬉しい悲鳴を上げている毎日です。
だから、もし今、あなたが新しい生活の場所として京都を考えていたり、進学先として京都の大学に興味を持っているなら、私は心から「思い切って飛び込んでみて!」と伝えたいです。ガイドブックに載っている有名な観光地だけが京都の魅力ではありません。日々の暮らしの中にこそ、あなただけの宝物のような発見や出会いがきっと待っています。
(京都工芸繊維大学 工芸科学部 佐藤浩一)