学生ライフ

やはり京都にはたくさんの「好き」で溢れていた

やはり京都にはたくさんの「好き」で溢れていた
この記事をシェアする

出会いあれば別れあり。
偶然にも京都に住むことになった高校1年生の春から、はや7年が経とうとしています。
何度も引っ越しを繰り返し、多くの出会いと別れを経験した私に、また別れの季節がやってきました。

2024年春。私は大学を卒業し京都を離れます。

「大学生活を振り返る記事を書いてほしい。」
そう言われて快く引き受けたものの、どんなことを書くか本当に悩みました。
だって思い出が多すぎるんだもの。
それでも、私の視点から、京都の大学生として過ごした4年間を振り返りながら、最後の記事を書こうと思います。

不安で先が見えなかった1回生

2020年4月。
新しい環境、新しい学生生活、新しい日常が待っている、はずでした。
いや、厳密には待ってはいました。しかし、その内容は全く想定もしていなかったものでした。

「新型コロナウイルス」「緊急事態宣言」「ソーシャルディスタンス」
聞きなれない言葉たちはあっという間に広がり、気がつけば当たり前に使われるようになりました。
入学式は中止になり、新入生歓迎会もなし、オンライン授業を余儀なくされました。

いつも学生で賑わうはずの鴨川から人がいなくなり、多くの観光地は独り占め。
飲食店が時間短縮営業になったことで、夜には忽然と人がいなくなっていました。
多くの学生の京都で送る大学生活が大きく変わりました。

私もそのうちの1人でした。
人との距離が離れ、家に篭りがちになっていき、同じことを繰り返す毎日を過ごしていました。
「なんとかして変わらなくちゃいけない。」
初めて大学に登校した9月。画面上ではなく、対面で同級生と会ったときそう思いました。

(京都を一望できる高台にて撮影 2020年9月)

もっとたくさんの人と会いたい。
もっと多くのことを知りたい。
そしていろんな経験をしたい。

そんな時期に見つけたのが「京都学生広報部」でした。

一歩を踏み出した2回生

さて、2回生になり1年遅れの入学式を無事終えた私は悩んでいました。
それはサークル活動。

「京都学生広報部」という存在を知ったものの、当時、引っ込み思案と人見知りを掛け合わせたような性格の筆者。
ホームページの「メンバー募集問い合わせ」のページに情報を書き込んでは消して、書き込んでは消して……を繰り返していました。
なかなか一歩を踏みだせず、ようやく申し込みのボタンが押せたのは8月。
9月にオンラインでのミーティングに参加し、その場で即入部。

そこから生活が変わりました。
毎週木曜日、オンライン上ではありましたが、いろんな大学の人と話すことができる。
自分の思っていることを話すことができる。
それを聞いて受け入れてくれる人がいる。
初めて取材に参加したとき、緊張で頭が真っ白になりながらも、人と話すことができたことに驚いている自分がいました。

さらに京都学生広報部に入部してから、自分の知らない京都をたくさん見つけることができました。
大学の近くにきれいな紅葉スポットがあること。
「京炎そでふれ!」という京都の大学生学生祭典オリジナルの創作ダンスがあること。
鴨川で等間隔に座るカップルたちを「かもっぷる」ということ。
通りの名前にちなんだ歌があること。

多くの部員と交流し、たくさん外に連れ出してもらって、それぞれが楽しいと思う京都をたくさん教えてもらいました。

多くの出会いがあった3回生

京都での大学生活を一番満喫したのは、3回生になってからかもしれません。
少しずつ観光客も戻ってきて、また京都に活気が戻ってきました。

部員と一緒に楽しんだ鴨川でのお花見や花火。
京都らしいことをしようと御朱印帳片手に寺社仏閣巡り。
京都の大学生の青春といわれる祇園祭や京都学生祭典。
終電ギリギリに友人と河原町を早歩きをしていたこともありました。
ちょっとずつではありますが、コロナ禍前の日常が戻ってきました。

(鴨川での花火)

京都学生広報部の活動もオンラインから対面に変わり、いつの間にかSNSでの広報を担当するSNS班リーダーを担うことになり、広報部の活動に明け暮れていました。
新入部員も増え、毎回行うミーティングも活気が増していました。
さらにインタビュアー兼ライターとして京都の大学に通う良さ、そして京都の魅力を、記事を通してたくさん伝えることもできました。

部員との出会い。
インタビューを通じての出会い。
新しく知る京都の魅力との出会い。
古くから伝わる伝統との出会い。

京都に住んでいなかったら、京都学生広報部に所属していなかったら、こんなに貴重な、大切なモノとの出会いはなかっただろうと思います。

たくさんのご縁があった4回生

4回生になり、いろんなご縁があったことにふと気がつきました。
とあるサークルのインタビューを通じて、そのサークルが出演するイベントにメディアとして参加することができたり、以前インタビューさせていただいた方から別件で依頼が来たり。
SNSで投稿した1枚の写真きっかけに広報部の活動を知ってくれた方や、そこから入部してくれた人も。

12月に行われた「コトカレアワード2023」に出席した際、初めて京都に来たときのことを思い出しました。
地元と呼べるような場所がない私にとって、引っ越した当初は、京都は数ある引越し先の一つに過ぎませんでした。

ただ一つ違うのは、普通の日常の中に「京都らしさ」が詰まっているということです。
履修登録の帰りや空きコマの度に寄った京都御所。
就職活動中に内定祈願をしに行った平安神宮。
通学で使う地下鉄の広告に書いてある京都の童歌。
アルバイト先の東福寺。
京都駅から歩いて朝日を見に行った清水寺。

(京都で一番好きな場所、鴨川)

気がついたら、そんな何気ない大学生の日常に「京都らしさ」が染み付いていました。
京都以外の場所に住んでいたら、ただの観光地で終わっていたかもしれない京都のさまざまな場所に、他の人とは少しだけ違う自分だけの思い出が刻み込まれています。
その思い出のどれもが暖かくて、優しくて、クスッと笑ってしまうようなものばかりです。

ただの偶然だと思っていた京都との出会いに、今は勝手ながら「ご縁」を感じています。
そんな「ご縁」をつなぐお手伝いを、京都学生広報部を通して行っていたのかもしれません。
人と人。人と土地。そして人とモノ。
私の記事を読んで、一人でも多くの人に京都の魅力、京都の大学に通う大学生の魅力に気づいてもらえたら、それ以上に嬉しいことはありません。

たくさんの「好き」と出会えた4年間

2022年1月、私は「コトカレ」を通じて初めて記事を投稿しました。
この記事を書くにあたって、冒頭の記事を読み返した際、こんな文章が書いてありました。

「私が、そして世界中が好きな日本が京都にはぎゅっと詰まっているのです。」

2023年、世界中から再び多くの人が京都にやってきました。

目を輝かせながら日本庭園と縁側の木目をじっくり眺める人。
御朱印帳を片手に受付の列に並ぶカップル。
某モンスターのぬいぐるみを大切そうに抱える幼い子供。
夜の鴨川で、英語ではない外国語で白熱した議論を交わすグループ。

そんな世界中から来た人々が、それぞれの楽しみ方で京都での時間を楽しんでいる姿を見て、やはり私は2年前と変わらず日本人でよかったと思うのです。

多くの人に愛される京都。
そんな場所で過ごせたこと、そして多くの人が愛しているさまざまな京都を知ることができたこと。
それは私にとって本当に嬉しいことでした。
ああ、京都に住んでいてよかったな。

やはり京都にはたくさんの「好き」で溢れていた。
次は、あなたが京都で見つけたたくさんの「好き」を教えてください。

(同志社大学 社会学部 成田萌)

この記事を書いた学生

かれんちゃん

かれんちゃん

卒業生が執筆した記事はかれんが紹介しているよ!