【京都モダン建築祭】実行委員長に聞く-イベントに込めた想い、建築の楽しみ方
大切に守られてきた京都のモダン建築が、期間限定で一斉公開されるイベント「京都モダン建築祭」。今年が初開催となり、11月11日から13日にかけて36件の建築が参加し、多くの方が足を運びました。イベントの公式HPはこちらからご覧ください。https://kenchikusai.jp/
今回のイベントやモダン建築の楽しみ方について、京都モダン建築祭実行委員長の笠原一人さん(京都工芸繊維大学・助教)にお話を伺ってきました。
もくじ
笠原一人さん プロフィール
建築史家。京都工芸繊維大学助教。専攻は近代建築史、建築保存再生論。リビングヘリテージデザイン(旧住宅遺産トラスト関西)理事。DOCOMOMO Japan理事。
著書に『ダッチ・リノベーション』『村野藤吾のリノベーション』『建築家 浦辺鎮太郎の仕事』『建築と都市の保存再生デザイン』『村野藤吾の建築』『関西のモダニズム建築』ほか。
(まいまい京都HP:https://www.maimai-kyoto.jp/guides/kasahara/より引用)
京都モダン建築祭に込めたメッセージ
――今回の京都モダン建築祭に込めた思いや、ターゲットについて教えてください。
京都は古都と呼ばれ、近世(江戸時代まで)の文化や建物については人々の関心も高く、それらを、国を挙げて守っていく制度も充実しています。しかし近代となるとまだまだ評価されず、一般の人の関心も低く、それらを守る体制もできていません。
例えば重要文化財や国宝は圧倒的に近世までのものが多く、近代で重要文化財に指定されているものは、まだ数えるほどしかないんですよ。それでも、近代が始まって150年ほどが経ち、現代の社会を支えているのはほとんど近代の思想や技術です。みなさんが住んでいる家も基本的には近代の技術やデザインで建てられた建物ですよね。
pen編集部との合同取材に応じる笠原さん
(11月11日、京都市役所)撮影・梅垣里樹人
それに加えて、近代建築は見て楽しいものです。西洋の文化が入り、細部に花柄が使われていたり、個性的なステンドグラスのステンドがあったり……。建物ごとに一般の人もわかりやすく楽しめる部分があります。でも実際には、どこに注目して見ればいいのかわからないことや、近代建築があまりにも日常生活に溶け込んでいることから、その価値に気づきにくいんです。
さらに、近代建築は街中に多く保護制度も充分でないことから、所有者の意思だけで判断され、壊されやすい面もあります。そういった側面や建物の魅力を、一般の方はもちろん建物の所有者にも、楽しみながら気づいてもらいたいと思い開催しました。
――今回のイベントでは、普段利用している大学の校舎やチャペルも公開されており、モダン建築を身近に感じました。笠原さんから大学生に伝えたいことはありますか?
学生さんたちは、後に社会に出ていく人たちですし、こういったものを見て理解してもらうのはとても重要です。ヨーロッパでは、建築が一つの教養として捉えられています。そのため、バス停で待っている間に近くの人と「私はこの建築家が好き」といったような会話ができるんです。
「どんなところを見れば楽しいか」などを知っているだけで、豊かになると思うので、学生時代から触れていくのは大切だと思います。
大学のまち京都と、「プロフェッサー・アーキテクト」
――自分の通う大学の歴史や建物の背景について、気になる人は多いと思います。大学のまちと呼ばれる京都ならではの、近代建築の特徴はありますか?
学術都市の京都ならではの建築の特徴は、「プロフェッサー・アーキテクト」と呼ばれる、大学の先生をしながら建築家でもある人たちの存在です。今では珍しくないですが、当時は数少ない存在でした。
その最初の人物が、京都では武田五一です。武田はヨーロッパで留学し、最先端のことを学び日本で広めようとしました。具体的には、京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大)の初代教授や京都帝国大学建築学科初代を務めるかたわら、京都大学の時計台の設計や、京都市役所の設計監修を担当しています。
京都市役所本庁舎(京都市中京区) 撮影・菅尾彩夏
また、彼と同じように常に実験や最先端のことをしながら、デザインをしていく人物が京都に何人かいましたね。プロフェッサー・アーキテクトは、学術的に、あるいは理論的に建築の新しいあり方を追求する点に特徴があります。
例えば武田に招かれ、京都高等工芸学校で教えていた本野精吾は、モダニズムという建築の最先端を1924年に東京に先だって京都で始めました。京都帝国大学(現在の京都大学)で教えていた藤井厚二は、和風とモダニズムを融合させ今までにない住宅を作っていきました。
新しいことを追及するプロフェッサー・アーキテクトは、京都にいると当たり前のように感じますが、当時の大阪には存在しないんです。大阪など商業都市では、利益を生む建築が求められるため、一般の人に受け入れられる必要があります。この点は京都とは対照的ですよね。都市によって、建築のあり方が異なることを意味しています。
彼らが手掛けた建築は、武田が設計した京都大学の時計台や、本野が手掛けた京都市考古資料館、藤井が設計した太田邸が、今回の京都モダン建築祭に参加しました。
京都大学 百周年時計台記念館(京都市左京区)
撮影・笠原一人
京都市考古資料館(京都市上京区)撮影・笠原一人
太田喜二郎邸(京都市上京区)撮影・笠原一人
伝統を継承する「京都ならでは」のモダン建築
――建築の背景に大阪との違いがあるのは興味深いです。他にも、京都のモダン建築に特徴はありますか。
伝統技術が継承された建築物が多いのも、京都ならではの特徴です。京都市役所の近くにある加納洋服店は、もともと木造の町家をリノベーションした建物です。
加納洋服店(京都市中京区) 撮影・菅尾彩夏
外から見るとコンクリートに見えると思いますが、この中に町家が丸ごと入っているんです。また、後ろに窓があるように見えますが、何もありません。これは壁だけを建てていて看板のように見えるため、一般には「看板建築」と言ったりもします。
建物の内部には、元は坪庭だったと思われるところを上からガラスでふさいで、トップライトが取り付けられていたり、二階には床の間がそのまま残っていたりと、随所に町家だった跡が見て取れます。京都の町家が近代化され洋風化されていくプロセスを体現している建物です。
また、今回の建築祭で人気だった革島医院(かわしまいいん)についても紹介します。この建物は、あめりか屋という工務店が作りました。
革島医院(京都市中京区)
写真提供・京都モダン建築祭実行委員会
待合室もある一階の中に入ると、「壁泉」(へきせん)にタイルが敷き詰められています。よく見ると、布目タイルという布の荒い目で作ったものや、焼きムラのある味わいのあるものになっています。清水焼の伝統を引き継いだ「美術タイル」と呼ばれるもので、まさに京都だから生まれたといえます。
他にも病室は、天井が市松模様になっていたり、大部屋は和室でよく見られる竿縁天井(さおぶちてんじょう)になっていたり……。かなり日本の伝統的な天井を意識したモダンなものになっています。このように細かいデザインを部屋ごとに変え、和風で遊ぶのは、「数寄屋造り」(すきやづくり)的なやり方です。
洋風の外観でありながら、中には清水焼の伝統を受け継いだタイルや、数寄屋的なデザインで設計しているのは、やはり京都ならではだなと思いました。
笠原さんが好きな建築、そして建築初心者の楽しみ方とは
――建物の背景や細部について知ると、次に見る時に見方が変わってきますね。では笠原さんが京都で好きなモダン建築と、好きなポイントを教えてください。
沢山ありますが、ウェスティン都ホテル京都が好きです。
隅から隅まで村野藤吾の設計で、抽象性の高いモダニズムのデザインに基づきながらも、階ごとにデザインが違い、コンクリートでつくられているのに数寄屋的なデザインになったりしているところが好きです。
他にも、村野がデザインしたスイートルームの家具や、普段宿泊客の目に触れることはない従業員用階段など、設計者のこだわりがつまっています。
ウェスティン都ホテル京都(京都市東山区)
北側外観 撮影・笠原一人
ホテルのスイートルーム 撮影・笠原一人
ホテルの従業員用階段 撮影・笠原一人
(写真の一部を筆者が加工)
またウェスティン都ホテルの別館「佳水園」は、今回はホテルの都合上、外観しか見学できませんでしたが、入口の門は昔どこかで使われていた屋根を移築して、村野が敷地の地形に合わせて向きを変えていたり、入口横の建物のコンクリートの外壁のタイルの貼り方が非常に複雑で凝っていたりします。
このホテルはあまりにも有名で、これまで建物自体はあまり注目されてきませんでしたが、村野のこだわりが詰まったデザインを見ていただけたらと思います。
――ありがとうございます。最後に、初心者でもわかりやすくモダン建築を紐解くポイントはありますか?
まず、建物全体を見てどのような様式なのかを読み取り、建築で用いられているタイルやその建築が和風・洋風なのかなど、細部を見るのが初心者におすすめです。ですが、色々な楽しみ方で建物を見てもらえればと思います。
最後に
笠原さんは、建物の背景や細部の特徴についてイメージしやすい言葉で説明してくださり、大変楽しい取材になりました。大学で過ごす時、街中を歩くとき、ふと足を止めて建物をじっくりと見てみたいと思いました。
取材・撮影 同志社大学 法学部 梅垣里樹人
京都女子大学 現代社会学部 菅尾彩夏
写真提供 京都モダン建築祭実行委員会,笠原一人さん