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研究者とは違う歴史へのアプローチを│直木賞作家・澤田瞳子インタビュー

大学コンソーシアム京都が主催する、生涯学習「京(みやこ)カレッジ」の京都学講座。

今回は、2021年度のテーマ「“ファクターX”をさかのぼる―京都と疫病―」の講師として登壇された京都出身の小説家・澤田瞳子さんにインタビューをさせていただきました。

小説家の傍ら、同志社大学のアルバイト職員としても長年働かれている澤田さんの仕事に対する姿勢、そして、京都観とは——?

澤田瞳子さんプロフィール

京都出身の歴史小説家。
同志社大学文学部文化史学科を経て、同大学院に進み、その後小説家に。
『孤鷹の天』で小説家デビューし、賞受賞作多数。
2021年『星落ちて、なお』で第165回直木賞を受賞した。

自分自身で機嫌を取らねばいけない仕事

——学生時代、どんな学生でしたか?

部活に熱心に打ち込む学生でした。能楽部で能をやっていたのですが、もともと能に興味があったわけではなくて。
「能って全然観ても聞いても分からない」と思っていた大学1回生の時に、サークル勧誘で能楽部があることを知り、「やってみたらわかるんじゃない?」と思い入部しました。

能楽部では、基本的には“謡(うたい)”と言われる能の声楽部分と舞を練習していました。楽器は個人的にお稽古に行き、いまだに続けています。

——勉強以外の時間もかなり充実されていたんですね。歴史を学ぼうと思ったきっかけはなんですか?

私は京都生まれ京都育ちなので、子どもの頃から歴史をすごく身近に感じていました。
例えば、『源氏物語』の漫画に出てきた地名が平凡な住宅地のど真ん中にある。その生活との近さが、非常に面白いんですよ。
その中で「自分たちが今いるところって何なんだろう」という疑問を抱いたことがきっかけですね。

実は大学に入るときは他の学部にも関心があったのですが、最終的に歴史を学びたい気持ちに落ち着きました。

——もともと本を読むこともお好きだったんですか?

すごく好きでした。書く仕事をしていますが、今でもできれば読むだけで暮らしていきたいと思っているくらいです(笑)。

——(笑)。では、大学生活の中で思い出深い出来事はありますか?

やっぱり能楽部が一番大きかったかな。
学生生活……部活に費やした時間がすごく長かったこともあり、部員とは今でも付き合いがありますし、半分家族みたいな関係です。

同時期に「その場にいた」「何かを共有していた」という信頼関係を作れるところが学生生活の良さではないでしょうか。

——そういった関係性ができるのは素敵ですよね。

友達の域を超えて、家族・親類みたいな関係を結べたことは非常にありがたかったです。それって大人になってしまうとなかなか見つけられないと思うんです。

大人になってからは仕事やプロジェクトなどを通して築かれる関係が多いのですが、学生の頃のお付き合いは、その人個人の信頼関係で繋がるように感じます。

——そんな大学4年間を過ごされて、進路選択の時に大学院に行こうと思ったきっかけは何でしたか?

私の頃は就職超氷河期だったこともあって。はじめは歴史で何かお仕事があると思っていたのですが、実際はなかなか食べていける当てもなく……大学院進学を選択したんですよね。

——そこから小説を書こう、という選択肢はどこから生まれたのでしょうか?

これまた食べていけなかったから……(笑)という理由が大きいんですけど、自分の“好き”と“仕事”をマッチングしたときに、研究者はちょっと違ったんです。

歴史はすごく好きだし、それで何か食べていければよかったのですが、私の“好き”は想像力が豊かすぎるというか、妄想力が強すぎるというか。

なので、研究とは違う歴史へのアプローチがないかな、と考えるようになりました。

——最初から文章を書くことは好きでしたか?

書き始めた時はあんまり……でしたね。でも、大学生活ってやっぱりレポートむちゃくちゃ書かされるじゃないですか。レポートと小説は違うんですけど、自分の中にある言葉や感情を言語という枠に当てはめて外に出すことは同じなので。

“文章を書く”という点では変わらずに、そこからシフトチェンジができたのはよかったですね。

——小説を書く中でスランプに陥ったときはどのように対処していますか?

今でも毎日スランプ状態です(笑)。ただ、小説を書くことは私にとって仕事です。

仕事にはお相手がいて、約束が発生して、そこに対価が発生します。だからこそ自分のスランプや個人的な事情などで破棄できるものではありません。

小説家や漫画家って創作者だからすごく気楽に生きていて、「スランプだったらもう書けない!」となっていいように思われがちですよね。ですが現実の創作者たる私は、プロである以上、書くために自分自身で機嫌を取らねばいけないと思っています。

——澤田さんは文章を作られる際、どのようにして想像力を膨らませていますか?

私の場合は“何か違うこと”に注目しています。例えば、歴史上同世代の人の中で「感染症流行時、この人だけ早く死んでいる。なんで?」と思うと、「この人だけ、周囲とは違う病気との関わり方をしたんじゃないか」と仮定することで物語になる。

歴史の研究者の方々はそこに歴史的な意義は見いだせないし、そこを推測することはしてはいけない。だからこそ、私たちみたいな仕事が「こうだったんじゃない?」「ああだったんじゃない?」というボールを投げられるんじゃないかな、と思っています。

史実の人物を扱うときは、その人の歴史上の話や資料は全部使うようにして、そのうえで何を載せられるかを考えます。創作は創作ですが、そのうえで使うべき材料が歴史小説家にはあります。

例えば、織田信長を書くのであれば、絶対本能寺の変で彼は死なねばならないとか。RPGのように、ここのチェックポイントは絶対通らないといけないという課題をクリアしたうえで、何が書けるかってことだと思うんです。

 

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