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京大出身・気象予報士 前田智宏さんが語る  #2 就活とアナウンサー時代編

今回は、京都出身・気象予報士の前田智宏さんへのインタビューの#2をお届けします。

このパートでは、就活とアナウンサー時代について語っていただきました。

#1学生時代編はこちらをご覧ください。

アナウンサー就活を振り返って

――当時はアナウンサー職の就活は、いつ頃から始まりましたか?

3回生の8月頃から、東京の放送局のインターンシップが始まっていました。

――その時期にはもうアナウンサー職を志望する決意をしていたのでしょうか。

そうですね。「アナウンサー試験を受けよう」と気持ちを固めたのは、2回生の冬でした。

やはりテレビ局で仕事をしたいという思いがあったんです。毎日文化祭をやっているみたいな楽しそうな雰囲気だなと感じていたので……。

そこで、アナウンサーについて調べ直してみると、放送部を経験してきた人だけがなる職業ではないことが分かりました。2回生の1月にアナウンススクールを探し始め、3回生の4月から通い始めました。

――準備万端で3回生を迎えられたのですね。アナウンサーになったら、やってみたかった仕事はありますか?

報道やバラエティーなどいろんなことを経験できるのが魅力だと思って、アナウンサーを選んだので、なんでもやりたいというのが正直なところでした。

グライダーというスポーツをやっていたこともあって、マイナースポーツが好きなんです。例えば、カーリングとか……。試合を観ている中で、「こんなに面白いものがあるのにその魅力をみんなが知らないのは、もったいない」という思いがあって。

だから、なかなか日の目を見ないようなものを、多くの人に知ってもらえる仕事ができたらな思っていました。

――アナウンサー志望の学生は、全国のどこの放送局でも受けるという人も多いと思いますが、前田さんはどうでしたか?

自分自身も、全国どこにでも行きますという感じで、北から南まで受けてまわりました。僕の時は、関西の放送局ではアナウンサー採用が少ない年だったんですよ。

今仕事をしている毎日放送も募集がありませんでした。でもその頃は、毎日放送が第1志望の放送局だったので、人事部に押しかけて「アナウンサー試験をやってもらえませんか」と直訴するくらい熱い思いを持っていました。その時に人事の人も会ってくれたんですよ。

――今もその方と面識はありますか?

あるんですよ。気象予報士として毎日放送で仕事をするようになってから、ある時エレベーターで「僕のこと覚えている?」と話しかけてくださったんです。もちろん見覚えがあったので、覚えていますと伝えました。相手が覚えてくださっていたのが嬉しかったですね。

――それは凄いエピソードですね!そこまで積極的に動く学生はなかなかいないと思います。

そうですね。就職活動中は、とにかく後悔がないようにやろうと思っていて、ただ人事部にお願いに行くだけじゃなくて、自分が考えた番組の企画書や、実際に自分がニュースを読んでいるところを動画で撮って持って行ったんですよ。

もちろんそれでアナウンサー試験が実施されることにはつながりませんでしたが、今振り返ってみたら、自分にモヤモヤしたものを残さないという意味でやってよかったなと思っています。

――就活にも全力投球の前田さんですが、部活との両立で忙しかった時期はありますか?

あります。全国大会の前の時期が大変でした。

事前に出場資格を揃える必要があるんです。例えば、1時間以上1人で飛んだことがあるとか。この準備が就活と重なると、就活で仙台に行ってそこから熊本に行き、さらに部活で岐阜の飛行場に行って飛ぶみたいな……。そういう無茶苦茶なスケジュールをこなしていた時期もありました。

節約のために夜行バスに何回乗ったかわからないです。おかげで、どんな狭いバスでも、隣にどんな人が来ても関係なく寝られますね(笑)。

福井で過ごしたアナウンサー時代

――そんな厳しい就活を乗り越え、福井放送でアナウンサーに採用されたんですね!そこではどんな番組を担当されましたか?

入社1年目から夕方のワイド番組のお天気コーナーを担当し、福井駅から中継していました

1つ大きな転機になったのが2年目で……。入社2年目にして、ラジオがメインの部署に異動になったんです。それでラジオの朝のワイド番組を担当することに。

朝の6時に出社して、7時と7時40分にニュースを担当。そして8時15分から3時間以上の生放送でした。朝が苦手だったので、早起きする生活が大変でしたね。でも、退職するまでこの番組を6年間担当しました。

――なるほど、やはりアナウンサーの朝は早いですね!このお天気コーナーが、今のお仕事につながるのでしょうか?

そうですね、これがすごく大きかったです。でも最初に気象予報士に興味を持ったのは、実は大学生の時なんです。グライダーは空や天気と関わりが深いスポーツなので、天気のことをしっかり勉強したいと思っていました。

自家用操縦士という資格を取得するためのペーパーテストにも、「気象」という科目があるくらいです。なので、大学時代に気象については少し勉強し始めていました。

当時も気象予報士に挑戦してみたいと思って、本屋でテキストを買っていたんです。ただ文系ということもあって、書いてあること自体が全然わからなくて。すぐに閉じて封印したんですよ。

それからアナウンサーとして、天気予報の仕事をするようになりました。アナウンサーは気象会社から送られてくる原稿を「読み上げる」ことが大切な役割です。

僕は「せっかく天気を伝えているのであれば、もっと深く理解して伝えられるようになりたい」と思うようになりました。そこでようやく封印していたテキストをもう一度引っ張り出して勉強し始めました。入社4年目くらいのことです。

――アナウンサーとして仕事をしながら、試験勉強をこなすのはいかがでしたか?

これは本当に大変でした。1人で勉強していてもどうしようもないと思い、通信教育を受講したんです。教材が送られてきて、テキストを読みながら進め、わからないところがあれば質問できるというものでした。

仕事をしながらだとなかなか進まなくて。初めのうちは平日に全然勉強できずに、休みの日にまとめて勉強するみたいなことをずっと続けていました。

試験直前になると、平日も仕事で疲れているけど寝るまで勉強するとか。起きている時間は、仕事か勉強かという時期でしたね。

――生活の中に勉強が入ってくるのは大変ですよね?

3回目の受験で合格したので、最初の受験から取得するまでに、1年半から2年くらいかかりました。実はその期間中に結婚したので、最後の方は妻のサポートもあってなんとかという感じだったなと思います。

――そこは感謝ですね!

ほんとにそうですね(笑)。

――気象予報士として仕事をしていきたいということを周囲に伝えたのはいつ頃でしたか?

資格を取得してからでした。アナウンサーの7年間で、いろいろなプロフェッショナルの人に会うにつれて、自分は何のプロなんだろうって感じ始めたんです。

言葉のプロということはもちろんですが、それだけではなく、伝え手としての自分の強みといえるものを作っていきたいと思い、興味があった気象というものを突き詰めていきたいと思ったんですよね。

予報士の資格は取るのも大変ですが、「資格を取ったからといって天気のことが何もかもよく分かっているか」というとそうでもなくて。

予報士の資格も、運転免許と同じだと思います。免許をとった時点では、まだまだ運転の上手下手の差はある。気象に関しても、ある程度のことはわかってきたけど、マスターにはなれていない、というのが気象予報士の資格を取ったときの感覚でした。

その後、もっと深く気象のことを勉強しながら仕事をしたいと思い、福井放送を離れ、大先輩がいる「南気象予報士事務所」に入りました。この思いを周囲に伝えたのは、資格を取ってから1年後だったと思います。

――当時の上司や、周りの反応は覚えていますか?

「勉強は今の環境でもできるじゃない」とか「今まで仕事を続けてきたのに辞めるのはもったいない」とか。どちらかというとネガティブな反応が多かったんじゃないかなと思います。

でも成長するためには今の環境のままではダメだと思ったので、自分の思いを強く訴えました。そして最終的には納得していただいたところです。

――自分の成長のために挑戦、素敵な考え方です!

#2はここまで

就活中も後悔がないよう行動し、アナウンサーになってからも挑戦を続ける。

前田さんの自分との向き合い方は、本当にストイックで勉強になりました。

#3では、気象予報士のお仕事についてお届けします。

(同志社大学 法学部 梅垣里樹人)

(写真提供 前田智宏さん)

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