京大出身・気象予報士 前田智宏さんが語る #1 学生時代編
家で過ごす時間が増え、テレビやラジオをよく視聴するようになったこの一年。メディアで視聴者に情報を届けるプロと言えば、「アナウンサー」を連想される方も多いかと思いますが、僕にとって「気象予報士」もその職業の一つです。
気象予報士は、NHKの連続テレビ小説『おかえりモネ」でも、今注目されている職業ですよね。
今回取材させていただいた前田智宏さんは、アナウンサーと気象予報士の顔を持つ凄い方なんです。京都で過ごした学生時代や、なぜアナウンサーから気象予報士を目指したのかなど、たくさんお話を伺いました。
テーマごとに3本の記事に分けて、インタビューの模様をお届けします。
前田智宏さん プロフィール
1988年生まれ、京都市出身。京都市立堀川高等学校、京都大学教育学部を卒業。大学時代は「京都大学体育会グライダー部」に在籍し、自家用操縦士の資格を取得。
2011年、福井放送にアナウンサーとして入社。在職中に気象予報士や防災士の資格を取得。
2018年からは南気象予報士事務所に所属。以降、毎日放送の気象キャスターとして様々な番組に出演。現在の担当番組は『Nスタ』、MBSラジオの『福島のぶひろの、金曜でいいんじゃない?』など。
学生時代を振り返って
――前田さんは中高生の頃はどんな生徒でしたか?
僕が通っていた中学校は人数が少なく、全校生徒が100人に満たないくらいでした。そんな環境からか、のびのび育ったような感じはありますね。
中学では野球部に所属していましたが、部員が10人だったので公式戦はおろか、練習試合でも1勝したことがないゆるゆるチームで(笑)。でも中3の夏までは一生懸命練習しました。
高校では、陸上部とフォークソング部を兼部していました。小学生の頃から趣味でエレクトーンをやっていたこともあって、高校ではバンドを組んでいたんです。担当した楽器はキーボード。
アコースティックギターを弾ける友達とデュオを組んで、「コブクロ」や「ゆず」を歌ったり、オリジナル曲を作って卒業のタイミングでCDを制作したりもしました(笑)。
――スポーツがお好きな印象ですが、音楽も趣味だったのですね。
そうですね。中学生の頃は市民ミュージカルに出演したこともあり、歌うことや演奏することは好きでした。
昔から「出たがり」というか、なんでもやってみようというタイプだったと思います。小学校では児童会長、中学校でも生徒会長をしたり……。
――なるほど、前田さんの積極性が伝わってきます。高校は堀川高校に通われていたということですが、堀川高校に決めた理由を教えてください。
中学生くらいの頃から、なんとなく「京都大学に行きたい」みたいな思いがありました。家から近いので通いやすいということと、日本でもトップクラスの大学に行けたらいいなと。
それで高校も進学校を選ぼうとしました。学校説明会に行った時は、校舎が新しくなって間もない頃で、めちゃくちゃきれいだったんですよ。ガラス張りの学校で、生徒が使えるエレベーターもあって。おしゃれだし「ここに通えたらいいな」と思いました。
また、その頃は「探究科(人間探究科・自然探究科)」が設置されたばかりでしたが、修学旅行で先輩方がアメリカに行っていたことも魅力的でした。
――それは憧れる環境ですね!高校生活を振り返っていかがですか?
本当に楽しかったです。周りには、何でも全力で取り組む子がたくさんいました。学校行事も部活動も勉強も全部が本気なんですよ。中学校までは学年で一番くらいの成績でしたが、人数が少ない学校だったので「井の中の蛙」みたいな状態だったと思います。
高校に入学すると「自分は周りの人とは比べ物にならない」と感じました。勉強に関しては本当に良いライバルが周りにたくさんいる環境でした。
――大きな環境の変化だったのですね!高校に入ってからも、京都大学に行きたいというのが一番の目標だったのですか?
高校に入学する時点で、うっすらとですけど目標の一つとして持っていたと思います。でも行けるという自信は全然なくて、模試でもCとかDの判定ばかりだったんですよ。だから自信はなかったのですが、周りの友達も一生懸命勉強している中で、コツコツやっていたのがよかったなと思います。
「京都大学に行きたい」という思いに対し、高校では「どうしたら行けるか」という具体策を先生方に教えてもらったなという感じですね。
――なるほど、学校での勉強は具体的にどんな感じでしたか?
宿題やテストがめっちゃ多かったです。だからそれについていくのに必死で。10何点とか衝撃的な点数を取ったこともあったりして、自分でも黒歴史なんです(笑)。ビシバシ指導してくれる学校だったので、それについていけば自然と力が身についていったという感覚がありますね。
――その環境が前田さんに合っていたのですね!
合っていたと思います。先生たちも、「勉強しろ勉強しろ」という感じではないんです。学校行事の時は、それに集中する私たちをおおらかに受け入れてくれるというか。何事にも全力で取り組む生徒を応援してくれる先生方だったと思います。
――高校の魅力がひしひしと伝わってきます! ところで、アナウンサーへの憧れが芽生えたのはいつ頃ですか?
僕は小学校の卒業アルバムに、将来の夢はアナウンサーと書いていました。
――それは早いですね!
そう。もちろんその時は漠然とした将来の夢で……。「めざましテレビ」に出演しているアナウンサーがすごく楽しそうにしているのを見て、アナウンサーという職業を知りました。
純粋に「楽しそう」という気持ちから、アナウンサーになってみたいと小学生の時に思い始めましたが、ずっとなりたいと思っていたわけではなくて……。
憧れから将来の夢に変わったきっかけは、アメリカで同時多発テロが発生した時かと思います。アメリカから届く衝撃的な光景や情報がニュース番組で伝えられる中で、とても冷静に番組を仕切っているアナウンサーの姿を見てかっこいいなと思いました。それが中学1年生の時でした。
――なるほど、中学生の時に原点があったのですね。 大学への進学をイメージする中で、アナウンサーになる夢や、進路についてどんな風に考えていましたか?
高校生の時に、いろんな職業が載った「職業辞典」が進路室にあったのですが、それを見るとどれもすごく魅力的に感じられて、自分がいざ何になりたいかを高校生の時には決めることができませんでした。
そんな中でも、アナウンサーは漠然と第一志望の職業として考えていたような気がします。ただ、職業の選択という意味で大学の学部にこだわりはなかったですね。
高校1年生くらいの時は、日本文化や日本語に興味があったので文学部を志望していました。それがだんだんと教育とか心理学に興味を持つようになって、人間の心の動きに興味が湧いてきました。
僕が選んだ京都大学の教育学部は教員養成系の学部ではないため、「絶対教員免許を取らないといけない」わけではありませんでした。有名な心理学者の河合隼雄さんも指導されていた、心理学を学ぶ上ですごく由緒ある学部ということもあり、教育学部を選びました。
(卒業式でのお写真)
――なるほど、学部の特徴が伝わってきました。実際に入ってみて、教育学部での学びはいかがでしたか?
日本の教育や世界の教育について本当に幅広く学ぶことができる学部でした。教育学部には3つの専攻があり、僕は教育心理学系というところで学びました。
教育の比較や、政治として教育をどういう風に運営していくと将来の役に立つのか、また教育の歴史など、いろんな視点から「教育」について段階的に専門的に学んでいくイメージです。
――心理学系を選ばれたということは、高校生の時の心理学への興味が続いていたのですか?
そうですね。でも僕はもともと興味が移ろいやすいタイプだと思うんですよ。本当にいろんなものに首をつっこみたくなる好奇心旺盛なタイプで……。
何か一本筋が通って続けていたというよりは、いろいろ興味のあることに手を出していった結果、今の自分に繋がっていったという感じだったかなと思います。
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