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京都とは何か? – すべてである。

はじめまして皆様、同志社大学2回生の石井と申します。

珍妙なタイトルですが御安心ください。

京都へのラブに溢れた記事になってます。京都、大好きです。

「別に京都じゃなくてもいい」と口にしていた高校生のぼくが京都の大学に入るまでの軌跡。自分自身の選択に対する、1年半を経たのちの答え合わせに至るまでのこと。いろいろありますが、紆余曲折の紆余の部分くらいは伝えたいです。ではどうぞ。

平々凡々な受験


高3当時のぼくはといえば、巷で噂の大学デビュー神話を鵜呑みにして、勉強そっちのけでダイエットに励んでいました。夏なのに厚着をして、地元の堤防をランニングしたりして。その甲斐あって当時ドラえもんのそれに近かった体重は5分の2くらい落ち、そしてまっこと自然なことではありますが成績も落ちました。

とかく勉強にまるで身が入っておらず、志望校を決めるときも「別にどこそこじゃなくても」とずっと口にしていたし、その中に「別に京都じゃなくてもいい」がありました。納得できるくらいの”良い”大学に受かれば”よい”と考えていました。

教師陣の熱烈な指導とプレッシャーでなんとか受験生活に入ります。そこそこまともに勉強したような。全国各地の大学を受験して落ちたり受かったりして、結果的に京都の同志社大学を選びました。理由は簡単で、校舎の美しさと個人的なイメージの良さです。この時点ではまだ「京都じゃなくても~」思想のもとで斜に構えていたぼくでありました。

「小世界・京都」思想


そして、上洛を果たし一人暮らしをする中で、京都とは世界であるという結論に至りました。

言葉をはしょり過ぎました。

けれどもしかし、なかなかどうして京都は実際「ひとつの世界」なんです。

若者で賑わい、ビルが立ち並ぶ河原町。新幹線が停まる京都駅。それから、ゆったりと流れる鴨川。のんびりと歩くように走行する叡電や嵐電。そして何より荘厳な神社仏閣の数々。

当然、これらは京都の構成要素のほんの一部でしかありませんが、これだけでも「世界」と称するに足るように思いませんか。世界とはすべてのことです。少なくともこれを書いている二十歳の若者ひとりにとって、京都という空間はそれだけで成り立つ小さな世界なのです。ぼくにとってのすべては、他のどこでもなく京都にあるのです。

余談ですが、山に囲まれた盆地に街があることも、外界から京都を隔絶し、あたかもそれだけが世界であるように錯覚させているのかもしれません。あるいは鞍馬山の天狗が京都に住む人すべてを生まれた時から化かしているのかも、とか。知りませんが。

いつかの、いくつかの世界

ぼくのような他所からの下宿生はとくにそうですが、小世界・京都での一人暮らしを経てはじめて世界を知り、自分自身にとっての「世界」を捉えるための道具一式を手にできるのではないかと考えています。
これは京都以外での下宿生活ではなかなかできない体験ではないでしょうか。そう、世界をわかっていなかったぼくにとって「別に京都じゃなくてもいい」わけがなかったのです。

学生ひとりが住み、しかもおおよそ4年という期限付きで世界像を捉えられるようになるには、京都くらいのスケールが適切であるとぼくは考えます。もちろん、4年以上を要する方々もいらっしゃいます。森見登美彦作品に登場する大学8回生の面々はたぶんそうなのだと思います。

そういうわけで、京都はまちの規模がちょうどよくって住みやすいのです。必要なものは手が届くところに何でもそろっています。実生活のことを口にするならそういった感想になるのですが、世界をとらえる能力を磨くためにも、京都が持つそうしたメリットは活きてくるはずです。

大学を卒業して、京都を飛び出して大きな世界に出る。そのときに京都をモデルとして「これは京都でいう○○だなあ」みたいな視点で世界を見ることができたなら、何かのヒントになるのかなあ。

などと漠然と考えながら、今日も三条大橋でカップ酒を片手に鴨川を眺めていました。

あ、これはヨーロッパでいうライン川ですね。向こうじゃカップ酒は似合いませんね。ペアリングはワインかウイスキーかしら。

(同志社大学 法学部 石井魁人)

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