インタビュー

「表現」に託す魔法!伊東歌詞太郎さんに聞いてみたかった5つのこと

「表現」に託す魔法!伊東歌詞太郎さんに聞いてみたかった5つのこと
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2020年1月25日、京都市主催の人権啓発イベント『ヒューマンステージ・イン・キョウト2020』がロームシアター京都で今年も開催されます。
そこにゲストとしてご出演されるのは、シンガーソングライターの伊東歌詞太郎さん
そして今回「高度情報化社会における人権尊重」をテーマに行われるイベントにちなみ、
京都学生広報部では「表現する」「伝える」ことに対する伊東歌詞太郎 さんの想いをインタビューしてきました。
伊東歌詞太郎さんの熱の籠った優しさと溢れだす芯の強さを感じ取っていただけると幸いです。

~プロフィール~

伊東歌詞太郎さん

ネット音楽のカバーで2012年に活動を開始し、2014年にシンガーソングライターとしてメジャーデビューを果たす。リリースしたアルバム「一意専心」「二律背反」「二天一流」の3枚は、3作連続でオリコンランキングTOP10入り。
また、全国各地で路上ライブをはじめ、ワンマンツアーなどLIVE活動を積極的に行っており、2019年には中国の北京・上海でもワンマンライブを開催し成功に収めた。
2018年には自身初の小説「家庭教室」を出版し、重版を重ね、6万部を突破するなどマルチな才能を見せている。
メディアでの顔出しはしておらず、狐のお面がトレードマーク。
(公式ホームページhttps://www.kashitaro.com/より一部抜粋)

価値のないものに託す夢

インターネット投稿での音楽活動をはじめ、ライブ、本、様々な場での講演会など多くの表現手段を武器に活躍されている伊東歌詞太郎さん。
そんな伊東歌詞太郎さんの「表現」へのこだわりとは?

僕は「表現する」ことそのものが「アート」だと考えています。
そもそも僕は、「アート」を「人間のものではない何か」だと考えていて、所詮人間である僕は何か伝えたいことを全身全霊で表現しないと「アート」にはならないと思っています。

そして表現し、伝えようとしているのは僕自身ですから、あらゆる表現手段を持っていたとしてもアウトプットの方法が違うだけで伝えたいものに変わりはないです。 例えば「表現したいもの」の例としては、2018年に初めて書いた『家庭教室』という僕の小説の最終章にいじめを題材にした話があります。

僕は小学校の時にいじめられた経験があり、自分のことが大嫌いになって受け入れられなくなりました。でも、今はそのいじめの経験のおかげで「いろんな種類の痛みの分かる人間」になれたと思っているし、大嫌いだった自分のことも肯定できるようになったんです。その地点に至るのはとても時間のかかることですが、僕が辿ったプロセスを「アート」にして伝えていけば今悩んでいる誰かの手助けになるのではないかと思います。

だから僕は僕の得意分野で「表現」し続けます。それはなにより自分を救う行為でもあるからです。

でも、この「表現する」という行為はとても難しいことで、音楽なんて特にそうです。

音楽が他人の耳に届くまではとても長い道のりがあって、どれだけ自分が良いと思って作った曲でも、なかなか聞いてくれないし、届いてくれないんです。それは、音楽が人間の生活に必ず必要な衣食住のうちのどれにも当てはまらないからだと僕は思います。
だから、音楽そのものって無価値なんです(笑)。

でも、それと同時に音楽は人間の生活になくてはならないものだとも強く思うんです。
僕は音楽に助けられた経験があるので特にそう感じますが、悩んでいることがあるときに音楽を聴くと何となく心が軽くなる気がするんです。音楽が直接の問題解決策になることなんてほとんどありませんが、物理的にどうしても解決できない問題が発生した時に心を軽くしてくれる、ふさぎ込んでしまった人の心を変えることができるのが音楽ではないかと考えています。

いつの日か誰かにとっての魔法へ

だからある意味、音楽って魔法だなって思うんです。
僕の曲のひとつに「magic music」(2018年リリース「WEST SIDE STORY」に収録)という曲があってそのなかに「ずっとすがり続けてきた音楽はいつの日か魔法に変わる」という意の歌詞があるのですが、本当にその通りなんです。
好きな音楽で自分の伝えたいことをずっとずっと表現し続ければいつかはそれが誰かの魔法になるのでは、と考えています。

でも、面白いのは、その魔法の効力は人によって様々なところなんです(笑)。
いくら僕が伝えたいことをその歌に詰め込んで表現したとしても、所詮音楽そのものは無価値なものです。その音楽を誰かに聞いてもらって、感じてもらって初めて価値がつきます。

だからお客さんが「歌詞太郎さんのこの曲、失恋した時に聴いて慰められたんです」とか「この曲、出勤するときに毎日聴いてます」とか、同じ曲にいろいろな価値をつけてくれることに、新鮮な驚きと喜びを感じています。ましてや、インターネットなど様々な媒体で僕の音楽にたどり着いて、聞いてくれて、そこになんらかのプラスの意味での価値をつけてくれて、生の歌を聴いてみたいとライブに足を運んでくれるなんて、そんなの奇跡ですよ!

先程も言ったように、僕自身の「表現」にいちばん救われるのは僕なんです(笑)。他人がどんな評価をしようと、僕が作った音楽に最初に救われるのは僕であって最初に価値をつけるのも僕自身なんです。だから僕にとって人生であり、目的であり、日常であり、全身全霊をかけるアートであり、魔法である音楽をいいなと共感してくださって、価値をつけてくださる皆さんには感謝でしかないです。

(次のページ>インターネットの世界/京都)

この記事を書いた学生

かれんちゃん

かれんちゃん

卒業生が執筆した記事はかれんが紹介しているよ!