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『響け!ユーフォニアム』の原作者、武田綾乃さんが語る!京都での青春

古くからの伝統と先端技術が交わるまち、京都。

そんな京都に関する様々な事象を学ぶために、大学コンソーシアム京都が京都市と協働で開講している生涯学習事業「京(みやこ)カレッジ」。その中の京都力養成コースの一つ、京都学講座が始まります!テーマは「京の伝統と先端-みやこが育んだ“モノ”と“技”-」。

そしてこの京都学講座の開講記念講座として、京都出身で、小説『響け!ユーフォニアム』の原作者、武田綾乃さんが講義を行ってくださいました。

講義のなかでは、小説に実際の場所を書くことの意味や、武田さん自身が幼少時代を過ごした宇治市の街並みについてお話いだだきました。作者ご本人に小説で描かれた場所の解説をしていただいたので、まるで『響け!ユーフォニアム』の世界にいるような気持ちになりました!

この講義の後に、武田さんにインタビューさせていただきました。
学生時代や小説家についてなど非常に面白い話がたくさんあるので
ぜひ最後まで、読んでみてください!

武田綾乃さんのプロフィール

京都府宇治市出身の小説家。同志社大学に進学後、大学二回生のときに小説家デビュー。

代表作は、『響け!ユーフォニアム』。

2015年にアニメ化されており、2019年4月には新しい映画、『劇場版 響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~』が公開されます!

『劇場版 響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~』公式サイト

http://anime-eupho.com/

大人気作家である武田さんの学生時代の実態とは?!

——武田さんは中学高校時代はどんな学生でしたか?

部活して勉強して…という普通の学生だったと思います(笑)。勉強は得意な方でしたけど、特別大好きってわけではなかったですね。中学までは吹奏楽部で、部活仲間と結構遊んでいました。高校からは文芸部で活動していました。楽しい中学生生活でした。

——吹奏楽部ではどの楽器を担当していたんですか?

私はユーフォニアムとチューバを担当していたことがあっ て、低音の楽器をメインに吹いてました。中学は全国を目指しているような強豪校ではなかったので、中学校生活最後の府大会でダメ金(金賞を受賞しながらも上位大会に出場できない金賞のこと)を獲ったときも、皆で喜んでいました(笑)。

——いつから楽器を始めたんですか?

楽器自体は小学生のときからですね。

友達に誘われたというシンプルな理由で金管バンドに入り 、初めて触った楽器がユーフォニアムでした。そこから5年間、楽器に携わっていましたね。

——武田さんは同志社大学の文学部出身だとお聞きしました。高校生の頃って進路で悩む人が多いと思うんですけど、武田さんはどういう基準で大学を選びましたか?

家から通えるというのが絶対条件でした。

あと私の場合は、正直なことを言うと就職活動を度外視して決めていて、自分の好きな内容を勉強できるかどうかを基準に選んでいました。

結局、同志社の文学部のなかの美学芸術学科というクリエイティブな関係の仕事に就職する人が多いところに行ったんですけど、なかなか特殊な学科でしたね。美学芸術学という学問を学んでいて、 映画学や文学論の授業もありましたし、その中で物語構造の勉強もできました。

自分が勉強したいと思っていたことに関する授業がほとんどだったので、本当に楽しかったです。なので4年間一度も後悔したことがないですね。この大学に入って良かったなぁと思いました。

——大学生時代は、どんな生活をされていたんですか?

いや~、でも本当に普通だったと思います。バイトして、サークル入って、遊んで、遊んで、本書いて……みたいな 。

大学生で作家になったわけですが、学生生活を満喫したつもりです。結構好き勝手に過ごしましたね(笑)。

——何の部活やサークルに入ってらっしゃったんですか?

「クラマ画会」っていう芸術系の絵を書く部活に入ってました。創部して100年以上経つ歴史あるサークルで、100人くらい部員がいるんですよ。そこに入って、部室に行ってみんなでだらだらして過ごすというのが多かったですね(笑)。

——大学生時代にとても専門的な授業を取られていたということですが、それが今の作品に影響したことってありますか?

かなり大きいと思います。物語や脚本の参考書をすごく見まくっていました(笑)。
せっかく大学にいったんだから元を取ろうと思って、図書館の本をすごく読んでたんですよ。そういったものの影響は多分大きいです。

あとは特殊なんですけど、芸術系の授業って絵のような視覚的な情報を文字化する、ということを論文内でするんですね。
例えば葛飾北斎だったら、「この絵はこういう曲線を描いているんだ」とか書くわけです。それをずっと繰り返していたことで描写力がUP したような気がしますね。色の識別の仕方などが変わってきて、そうした知識が執筆にプラスになったかもしれないと思います。

武田さんにとっての小説とは?

——物語を書くようになったきっかけは何だったんですか?

小学生の頃には気付けば書き始めていました。殴り書きのようなものでしたけど(笑)。

作品として仕上げるようになったのは高校生のときで、当時は本を書くことに完全にハマっていましたね。

楽しいから書き始めた、というのがスタートラインでした。

でも大学生になった時に、このまま趣味にしておくのか?と思ったんです。四年後、卒業するときに、自分の学生時代を振り返って何も残らなかったら嫌だな、と思って。それで小説賞に応募することに決めました。

とりあえず結果を残したいという気持ちがあって、小説賞のスケジュールを組んで、年に6冊本を応募しようと思っていたのですが、幸運なことに一冊目でデビューが決まりまして。そして今に至るという流れですね。

——応募用の本を書くというのは どんな感じでしたか?

大学生の間に執筆活動を頑張ろうと思っていたのですが、自分の能力を評価していない部分もあったので、これから書くのに慣れていって三十代でデビューして兼業作家になれたらいいな、くらいの気持ちで原稿を書いていました。

締め切りの2日前に書き終わって、ギリギリに出したのがデビュー作の応募原稿です。
だから今読むとすっごいひどくて、荒れ狂ってましたね。勢いで書いた部分が大きかったので(笑)。でも宝島社さんが可能性を見いだしてくださって本当にありがたいと思いましたね。

——先ほど、兼業作家を目指していたとおっしゃっていたんですが、就職活動はされたんですか?

最初の頃はしてましたよ。作家はやっぱり続けていくことが難しい職業なんで、大学時代にデビューした作家の方は皆さん、編集担当の人から「就職活動した方がいい」って言われてますね。

専業作家だとなかなか大変なことも多いですからね。

私の場合はありがたいことに四回生の頃にアニメ化の話が来たので、専業作家になることを決めました。

——他の職業につきたい、作家を辞めたいなどと思ったことは一度もなかったですか?

作家以外の進路は考えたことがなかったんで、一回も辞めたいと思ったことはないですね。悩むとしたら、「なれるかなれないか」であって、「ならない」っていう可能性を考えたことがなかったです。作家の方はこういう考え方の人が多いんじゃないかと思いますよ。

 京都府出身の武田さんが語る京都の魅力

——京都出身だとお伺いしました。武田さんが思う京都の魅力はどんなものがありますか?

学生のまちっていうのが大きな魅力だと思います。

ほかの場所と比べて学生にやさしい雰囲気がある気がします。

あとは、文化的なものに触れようと思ったときにすぐアクセスできるのは、京都ならでの魅力かなと思います。

私の通っていた大学の近くにも文化財がたくさんあったので、 大学生活の空いた時間を利用してよくお寺などを見に行っていたんですけど、そういうことができる場所って実は限られているんじゃないかと思いますね。

——具体的に京都のどの場所が好きでしたか?

すごくいろいろあります。隙あらば行っていたので(笑)。御所とかは結構好きで、よくお庭を友達と一緒に見に行ってました。平安神宮がある岡崎の美術館なんかもよく行ってました(笑)。

——岡崎もいろいろ美術館とかありますよね!

今すごい盛り上がってますよね。
岡崎の近くがちょうど中学の時の吹奏楽部のコンクール会場だったんですよ。

「響け!ユーフォニアム」の作中描写でもあったんですけど、私のときのコンクールの結果発表は紙で貼り出されていたんですよ。会場が狭いから全員入りきらないという理由でホール外での発表だったんです(笑)。

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