清水寺執事・大西英玄さんに聞く、これからの清水寺

修学旅行の定番スポット、清水寺。
世界文化遺産 “古都京都の文化財” のうちの1つとして注目されている寺院で、日本国内のみならず、世界中からも連日多くの観光客が訪れています。
今回、その清水寺の執事である大西英玄さんにお話をうかがいました!
もくじ
「清水の舞台から飛び降りる」
清水寺の舞台
―清水寺さんは昔から多くの参拝客が訪れる場所として有名だったかと思いますが、特に江戸時代には絵画や歌舞伎など多数の文芸作品にも登場し、ことわざにもなっているように「清水の舞台から飛び降りる」人もいたようですね。
大西英玄さん(以下:大西):飛び降りた人は、未遂も含めて244件で、そのうち一人で二回飛んでいる人もいたみたいです。そのうち生き延びた人は85パーセント程で、飛んで無事だったら願いが叶うという願掛けだったそうです。
ちなみに皆さんは、願い事を叶えるためにはどうしていますか?たとえば、おみくじってありますよね、お寺のおみくじの祖は第十八代天台座主猊下(てんだい ざす げいか)で元三大師(がんざんだいし)の名で知られる良源(りょうげん)という方で、当山では原則その古式が今でも踏襲されており一番から百番まである中、25枚が凶になっています。
そこで百パーセントの確率で大吉にたどり着く方法があるのですがピンときますか?要は大吉が出るまで五回でも十回でも引けばいいんです。寺や神社で「おみくじは一回しか引いてはいけない」とは、どこにも書いていないと思うんですよね。
願いを叶えるについて、可能性に蓋(ふた)をしているのは意外と自分自身の思い込みだったりするものです。
聞いた話ですが、例えば自転車に乗れるようになる為に積極的にトライしては転ぶというプロセスを十回通らないといけないとします。するとある意味最速で自転車に乗れるようになるには、最速で十回転ぶ体験をする事と解釈出来ます。
つまり挑戦においては「成功」か「失敗」ではなくて、「成功」か「成長」しかないということです。
唯一の失敗というのは、転んだら「痛い」とか「嫌だ」と言って、何も行動しないことなんです。
もちろん我々は願う形での結果が見える形で保証されるとは限りません。しかしそうして結果を過度に求める心から離れてとにかく一心に努める、これこそが願いを叶えうる秘訣ではないかと思います。
観光客の受け入れ方
清水寺へと向かう清水坂は平日昼間でも多くの人で賑わっています。
―外国人観光客の方が大勢来られることによって困っていることはありますか?
大西:みなさん様々な弊害を想像されるかもしれません。たとえば一昔前には花見小路通で観光客が芸舞妓さんをお茶屋まで追いかけるとかが話題になりましたね。
現代の日本社会においてこれだけ多くの訪日外国人がお越しになられる事は前例がなく、文化や習慣の違いが異なる為に、色々トラブルもあるかもしれません。しかし私は同時に良き機会でもあると考えます。
先人達が並々ならぬご尽力によって継承してくれた今日に残る歴史や伝統文化、習慣等に対して、私たちは日々の忙しさ、慣れや飽きが故にその価値や意義の認識が薄れていったた一面があると思います。
それらを外国から来た人が「日本のこれって世界的に見てもすごい!」とスポットライトを当ててくれる事で、世界に広がりうるだけでなく、我々にとってもそれらの価値や意義を再確認の機会に恵まれうるのでは、そのように考え大切な時期だと自覚しています。
―清水寺さんといえば、アニメ名探偵コナンの聖地にもなっていますが、日本人観光客が増えるようになったきっかけはなんだと思いますか?
大西:確かに名探偵コナンをはじめとする大衆に発信力があるあまたの縁にご紹介頂いたのもそうですね。あくまでも寺主体として一番大きなきっかけとしては、平成十二年の御開帳(ごかいちょう)でしょうか。33年に一度だけ、秘仏※である御本尊(ごほんぞん)の観音様をお祀りした厨子(ずし)の扉を開く事が許されるという大きな行事があり、それが大きなきっかけであったと思います。
(※普段は扉が閉じられており、公開されていない仏像)
―清水寺さんが夜間特別拝観をはじめたきっかけはなんですか?
大西:昭和二十四年から境内や門前での防犯、防災を目的とし清水寺警備団が結成されました。団員には我々や門前町のみなさんが所属し、活動内容の一つとして日々境内の巡回をしています。
以前門前の人が夜の巡回をしていた時、真っ暗な境内の中市内の夜景が一際綺麗に見えたと感じていたそうです。当時はまだ今ほどお参りの人はいなかった事もあり、この昼間とは違う夜の雰囲気を多くの方々に是非体験して頂きたいという願いのもと、門前会さんが主体となって夜間特別拝観を始める運びになりました。
当時の京都は夜に行くところがないとよく言われていて、昼間は京都に来るけど、夜は大阪に泊まりますという人も多かったみたいです。そうした背景も後ろ盾となり夜間特別拝観が単発ではなく継続される事となり、そして今では市内色々なところで夜間特別拝観や諸行事が行われるようになりましたね。
―観光客の増加にともなう観光公害、オーバーツーリズムも話題になっていると思いますが、清水寺さんがされている対策はありますか?
大西:この東山界隈の関係諸団体が協力して、特に繁忙期に交通整理を目的としガードマンさんを配置する、またパークアンドライドといって、自家用車で直接お越し頂くとは違う手段を取りやすくするなどの取り組みをしています。
観光業に関わる形で商売をしている人にとっては多くお越しの方が良いでしょうが、お住いの人にとってはストレスを感じる時もあるかと思います。この瞬間に自分にとって都合が良いか悪いかという「点」の感情で結論を出すのではなく、長い時間軸で考え、なるべく皆にとってより良い形になるように、当山としても行政機関や地域と連携して謙虚に、継続的な努力を重ねて参るつもりです。
清水寺の二つのはたらき
―清水寺はこれまで何度か改修工事が行われていますが、そのときと現在とで観光客の動きに変わった点はありましたか?
大西:当然工事の期間はお参りする人は少なくなりますし、たとえば門を閉めて一定期間工事に特化すればより早くする事は出来るかもしれません。しかし当山には歴史的文化遺産と、現在進行形の宗教施設と二つのはたらきの共存が求められる為、参拝者を受け入れ、また必要に応じて工事を同時進行しなければなりません。
歴史的文化遺産とは、境内全域が世界遺産であり、多くの国宝や重要文化財をお預かりしています。それら諸堂伽藍(がらん)のみならず仏像や絵馬等といった寺宝、歴代の僧職たち、信者、あまたの参拝者たちが何百年前より同じ形で手を合わせてきた次第等、有形無形の文化財が宿る場所という意味です。
現在進行形の宗教施設としては、大きく二つの役割があります。一つ目は知名度の活用です。世の中様々な問題がありますが、自身が自身にとって本当に親しい人がその当事者にならない限り、自分事として本当に認識するのは難しいですね。ある程度仕方ないと思います。皆それぞれ人生が異なり、抱えている問題も違うからです。
一方で社会に内在する善意は決して全否定されず、「みんなで出来る事をやっていきましょう」と、訴え活動している個人、団体、組織は我々が想像しているより遥かに多く存在します。
でもそうした彼らの声はなかなか耳に入りにくい。なぜなら我々の多くが直接的当事者でない事はもちろんながら、今の世の中、情報が多すぎて個人単位何が正しいのか、本当のか、もはや正確に判断する事が難しいからかもしれません。
そのような背景の中、清水寺から彼らが思いやメッセージを発信することで少しでも信頼性や公共性、発信力が増して欲しいという願いをもって、様々な社会啓発活動に協力させて頂いています。
もう一つ、拝観料がありますが、これは原則参拝者から預かっている善意と定義しています。
これらの浄財によって文化財が維持、継承されていると共に、再び社会にお返しするのもまた責任の一つと考え、医療、福祉、芸術芸能、伝統文化、国際交流、学会支援、社会活動、平和活動に関係諸団体、NPOやNGO、諸宗教の方々と協力して取り組んでいます。
社会の中で皆様の善意が滞る事なく、少しでも持続的に循環するようにと日々願っています。
仏教徒やその寺の信者でなければ、時に寺の存在意義が十分理解されない事もあるかと思います。
これは寺側にも大きな責任があり、その時代に必要とされる場所であり続けるよう尽力するとともに、時代の変化に合わせて柔軟に対応、また内外に共有や発信していく事が重要と考えます。
―拝観料の話がありましたが、かつては「古都税」※導入の是非で問題となった事がありました。近年もオーバーツーリズムの話題などに関連して、「たくさん観光客が来ている寺社からお金をとればいい」というような意見も見られますが、清水寺さんは当事者としてどう思っておられますか?
※古都税:寺社の拝観料に上乗せする形で参拝者から税金を徴収するというもの。京都市が文化財保護のためとして1985年に導入したものの、多くの有名寺院が反発し、拝観停止で対抗したことで、わずか3年後に廃止された。
大西:「古都税問題」の時は僕もまだ小さかったんですが、幼いながらも普段とは違う雰囲気を感じていたように思います。
一連の出来事を諸先輩方からの教えや情報として学ぶ事しか出来ませんので、またこの場で深く掘り下げる事は致しませんが、やはり「信教の自由」に抵触すると考えます。総じて平和な現在の日本では実感がわかない方も多くおられるかと思いますが、我々は当たり前のように享受している権利は大なり小なりあまたの先人達の並々ならぬ努力の賜物のおかげであり、本来は当たり前に保障されているものではないと思います。だからこそ先程の話ではありませんが、今だけの偏った見方だけで拙速に判断するものではない事も多々あるように感じます。
近年問題になっているのが、すでに日常にも浸透しているキャッシュレスですね。
あれはピッとすると代行業者に手数料が入るというので、人件費の削減やオペレーションの簡素化等の利便性だけを見て導入する事は出来ず、慎重に協議を重ねています。これだけ物事の発展が早く、その速度にルールや法律の解釈が十分に並走されていないところもあり、山内()だけではなく有識者等とも意見交換を行ったり、定期的な勉強会の開催もしています。
もちろんキャッシュレス化導入を進めると、特に海外の人たちは両替せずに済むわけです。
現金なんて持ちませんよという国が多くあるなかで、参拝客に不自由がない状態を一刻もはやく整えないといけないという側面もあるので、しっかりと環境整備をしながら継続検討、試験的な取り組みを模索しています。
今後の展望
―清水寺さんとして今後の展望はありますか?
大西:「清水寺はいつ行っても人がいっぱいですよね」などの印象一択になる事を避けたい。言い換えますと、受け手に応じた多様性を大切にしていきたいと考えます。
例えば昨年の春は桜の開花が想定より遅かったので、夜間特別拝観の時期に見頃が合わず、残念でしたねといったお声を多く頂きました。
確かに夜桜を目的とした方々にお運び頂く事は叶わなかったかもしれませんが、それでも参拝されたいという方々には静かで荘厳な雰囲気の中、お参り頂けましたので、それで十分意義があったと思っています。
防犯防災観点から現在拝観時間を設けていますが、拝観時間を設けている市内の寺の中では最も早く開門し、最も遅く閉門する寺の一つです。拝観時間短くし効率化を図る方が良いのではという意見も頂きますが、長く開ける理由もそういう事なのです。
早朝は人が少なく一日のはじまりと共に荘厳な空気を味わえ、日中は多少賑やかで多く、笑顔や真摯に手を合わせる方の姿を拝し、また夕刻や薄暮の頃には違った雰囲気を見せる。それらに春夏秋冬季節のうつろいが変化を演出する、いろんなお寺の印象を感じてもらいたいですね。
大切な約束があるとします。しかし時間が無く、大あわてで目的地に向かうとします。そんな時は心身の視野が狭く他の何も気づきません。一方で同じく大切な約束がありますが、その日は時間余裕もあり、天気も良いとします。それじゃあそこまで歩いて行こう、または目的地行く前に以前より立ち寄りたかった所へ行ってみようかとなりますと、風が気持ち良いな、花がきれいだなとか、何気ない人の好意を感じたり、新しい店の存在に気づいたり、通りすがる子供や赤ちゃんをかわいいと思ったり、要するに「感じる」というのはとても大切だと思うのです。
「りんご」と言ったらみんながりんごを思い浮かべますし、ここでみかんを思う人はいません。現代社会を成立させる為にはコミュニケーションが必要で、その為に共通認識、言語、常識等が存在します。一方で我々は特に昨今の情報化社会において「同じ」にものすごく縛られている気がします。自身で得た断片的な情報をもとに、平均値より上、またはある程度多数派に属していれば安心する、決して悪い事ではないと思います。ただ同じものを見ても「自分は何を感じるか」、これが個性であり、そこに類似点はあっても全員異なり、要は不正解のない世界ですね。また自ら心と対峙の始まりと言えます。
他にもこんな側面があります。感じるは不正解がなく、多様である、ここに理解が深まりますと自分の感性と他者の感性は時に異なる、すると自分の正解は必ずしも相手にとってそうではないかもしれないという自覚のもと、本当の意味で周りへの寛容性や多様性の認識がより育まれうる、まさに共存ですね。
寺に足を運ぶ、そこに崇高な参拝動機がなくても構いません。まずは無条件に感じてみる、そこからでも始めて頂けたら嬉しいですね。
おわりに
今回、大西英玄さんに多くのお話をしていただきました。
清水寺がどうあるべきか、そしてこれから先はどうしていくかということを伺う中で、私たちも日々の生活の中で何を大切にしていくべきなのかということを考えることができたように思います。
日頃からの忙しさのあまり、ついつい心のゆとりがなくなり、視野が狭まってしまうことがありますが、ほんの少しでも立ち止まって見てみると、今まで感じていたこととはちがった考えが浮かんでくることもあるかもしれません。それはもちろんどこにいたってできることですが、たくさんの魅力につつまれた京都のまちで、そのことを大切に生活していきたいですね。
(取材・文 佛教大学 歴史学部 直江和宣)
(取材 立命館大学 法学部 山岡莉奈)
(取材 龍谷大学 社会学部 永田藍梨)
(取材 佛教大学 歴史学部 森田咲耶)
(取材 同志社大学 政策学部 岡本結菜)