「受験勉強だけで終わらなくてよかった」受験生に伝えたい、とある高3生の1年間。
「受験生になったら受験勉強に集中しないと!」
そう焦っている人たちに読んでもらいたいこの記事のテーマは、受験生の時間の使い方、です。
(勉強しましょう、という話ではないので、ぜひ最後まで読んでもらえたら嬉しいです)
新学期が始まると、新高3生は受験モードに切り替えようとする人が多いのではないでしょうか。
かくいう私も高校3年生になってから塾に通い始めました。私の受験生時代は“受験生”としてはかなり不真面目なものでした。
それでも、大学卒業を控えた今でも、私はあの1年間の時間の使い方にそれほど後悔していません。
なぜって?
それは、私なりに「受験勉強よりも優先したいこと」があったからです。
朝も昼も夜も、勉強漬けの1年間。
それは受験という1点においては正しい時間の使い方かもしれない。
でも、人の一生から見た“この”1年間は、受験勉強だけで終わらせるにはもったいないほど貴重な1年間かもしれない。
そんな、周りの受験生とはちょっぴり違う考えを持っていた私の受験生時代について語ろうと思います。
もくじ
「自習室に通わない子」
受験生になると、授業がなくても塾の自習室や高校の図書室で夜まで勉強する人が増えますよね。
中にはコンビニで買った夕食を塾で食べた後、閉館時間まで自習室にいる人もたくさんいます。私の周りの友達もよく自習室に通っていました。
その中でただ私ひとりが、塾の授業が終わるとすぐに家に帰っていました。
友達からは
「自習室行かないの?」
「今日も自習室に来ないんでしょー」
と次第に“自習室に通わない子”という認識が定着されていました。
なぜ自習室に通わないのか聞かれたこともありましたが、そのときは「自習室で音楽を聴けないのが嫌」とか「なんとなく」とはぐらかしていたような気がします。
もちろん上記のような理由もありましたが、本当は「早く家に帰りたい」というのが理由でした。
家でお母さんが作ってくれた温かいご飯を食べたかったんです。
塾の授業が21時半に終わっても、私は家に帰ってから夜ごはんを食べていました。
(小腹を満たすためにおやつを食べたせいで体重が増えたことは後悔しましたが……)
ではなぜ、私はそんなに“家に帰りたがり”だったのでしょうか?
それが今回の本題です。
家族と過ごせる時間は人生で残り1年?
みなさんは、家族と過ごせる時間がどれくらいあるか考えたことはありますか?
私は高3になる前の3月、その“時間”について気になって調べたことがありました。
気になったのは、私の志望校が県外だったので一人暮らしをする可能性が高かったからでしょう。
あとどれくらい家族のそばにいられるのかな、とふと不安がよぎったんです。
調べてみたら、社会人になって毎年のお盆と年末年始に帰省すると仮定した場合、親の寿命も考慮するとたった1~2年分、とのことでした。
これを多いと捉えるか、少ないと捉えるかは人それぞれですが、私の場合は「こんなに少ないんだ」と衝撃を受けました。
そしてこれからの高校3年生という1年間が、社会人になってから家族と過ごす1年間と同じ時間の長さだと気づいたとき、私は受験勉強に使う時間よりも家族と過ごす時間の方が大切だと感じました。
それが、私が“家に帰りたがり”だった理由です。
私の受験生時代は、塾の授業が終わったらすぐに家に帰って、土日もほとんど家にいて……生活の中心は「家族と時間を過ごすこと」でした。
そして大学生になってからも4年間、一人暮らしを始めても隙を見つけては短期で帰省していました。
(帰省しやすいという意味で、私の実家の愛知と京都は距離が近くて良かったです)
もちろん、一緒にいる時間だけが全てではないとは思いますし、傍から見れば、「親バカ」ならぬ「子バカ」なのかもしれません。
でも、「あのときもっと一緒にいる時間を大切にしていればよかった……」と数十年後に後悔するよりもよっぽどいいと思うんです。
時間は戻らないし、いつ急に途絶えるかもわかりません。
実際、一人暮らしを始めて、帰省した時の生活が高校生までの生活と違うと感じました。
私が帰省すると、両親は外食に連れて行ってくれたり、私の好物を作ってくれたりします。
それは、家族にとって私の帰省が“非日常”の出来事だから。
多少好きではない食べ物が出てきたり、細かいことで小言を言われていたりした頃とは違うと感じるのです。
同じ家族と過ごす時間でも、時間の“質”は変わっていくのだと最近気づきました。
そう思うと、私は余計に今この瞬間を大切にしたいと思うのですが、みなさんはどう感じるでしょうか?
ただ、これはあくまで私が志望校に合格したからこそ言えるのであって、もし不合格だった場合に同じことを言えたかどうかは分かりません。
それでも、「なるべく家族と過ごす時間をつくろう」と決めたことで、逆に自分を追い込むことはできたのではないかと思います。
「志望校の夢も捨てられないなら、授業で吸収できる部分は吸収してしまおう」
「最低でもこのラインは突破しなきゃ」
といったように、追い込まれた状況で火事場の馬鹿力を引き出そうという私の得意な作戦です。
結果、志望校は合格最低点だったので、本当にギリギリでした。
一歩違えば同じ結果にはならなかったわけですが、受験勉強よりも「家族と過ごす時間」を優先した私の高校3年生の1年間は、周りの人とは違う意味で中身のある1年間だったと思います。
みなさんはこれからの1年間という“時間”をどう過ごしたいですか?
「受験勉強第一」は一般論。
今ある時間の使い方は「すべき」で一般化されるものではなく、人それぞれでいいんです。
「高校3年生だから、受験生だから、勉強しなくてはいけない」というのは一般論。
一般論に従うのは簡単ですが、それは個々の人生にとって本当に大事なことなのでしょうか?
さらに言えば、“世間体”というプライドさえ気にしなければ受験勉強は何度でもリベンジ可能なものです。
(直近で就活を経験した身としては、就活も似ています)
私が優先したのは「家族と過ごすこと」でしたが、1年間という長さはさまざまな夢を叶えるのに十分な時間。
何を優先するのもいいでしょう。
考えた末に「やっぱり受験勉強が優先だ」というのであれば、それはもう一般論ではなくあなたの意思なので、思う存分に勉強しましょう。
たとえ小さなことであれ、意思を持つ人はメンタル面においても強いと思います。
だからこそ、自分で考えて、選んでほしい。
これからの1年間の過ごし方を。
4月から高校3年生になろうとする人たちは、この1年間をどう使うか、ぜひ一度考えてみてはいかがですか?
(同志社大学 グローバル地域文化学部 西村彩恵)