18年ぶりの一般公開!元離宮二条城の本丸御殿に行ってきた!
みなさんは二条城に行ったことはありますか?
最近では、夜間のライトアップが開催されていることを知っている人もいるかと思います!
二条城(正式名称は「元離宮二条城」)は、清水寺や平等院など17の文化財で構成される世界文化遺産 “古都京都の文化財”のうち唯一のお城です!
その二条城の中でも本丸御殿は長きにわたって保存修理工事が行われ、今年の9月1日に18年ぶりに一般公開が開始されました!
それに合わせ、今回は特別に本丸御殿を案内していただきました!
本丸御殿正面
もくじ
世界文化遺産 元離宮二条城の歴史
二条城大手門
二条城は、慶長8年(1603)、徳川幕府初代将軍の徳川家康によって、禁裏(天皇が住む京都御所のこと)守護と、普段は江戸(現在の東京)にいた将軍が上洛(京都に来ること)したときの宿泊を目的として築城されたお城です。
一般的にイメージされやすい、戦を想定してつくられたお城とは違い、この二条城はあくまで宿泊施設兼儀礼の場として位置付けられていたのが特徴で、江戸時代の記録を見ると、「二条御殿」とも呼ばれています。
元離宮二条城全体図
元離宮二条城公式サイトより引用 (https://nijo-jocastle.city.kyoto.lg.jp/)
つくられた当初は今よりも敷地が狭かったようですが、現在の規模となるきっかけとなった出来事があります。寛永3年(1626年)9月、3代将軍・徳川家光の時代に後水尾天皇が二条城に招かれた「寛永行幸」です。この一大イベントに合わせて、西側へと区域が拡張され、天守閣や本丸御殿がつくられました。
この家光を最後に、幕末に14代将軍・徳川家茂が上洛してくるまでの200年余りは、将軍が京都に来ることはなく、その間に天守閣や本丸御殿が焼失しています。
そして慶応3年(1867年)10月、二の丸御殿にて、江戸幕府最後の15代将軍・徳川慶喜により「大政奉還」する意思が伝えられたことはよく知られています。
明治時代に入ると、二条城は、徳川将軍家の所有から皇室の別邸へと変わり、「二条離宮」と呼ばれるようになります。
そして明治27年(1894)になると、明治天皇の命によって、京都御所より移築された桂宮御殿が本丸御殿として整備されました。
この桂宮御殿は、もとは天皇の親戚である桂宮家が住んでいた建物です。また、孝明天皇の皇女・和宮が家茂に嫁ぐ前に2年ほど居住していた建物でもあり、孝明天皇の仮御所として使用されていたこともあるようです。
二条離宮に移築された後、明治時代から大正時代にかけて、この本丸御殿は大正天皇や昭和天皇が皇太子時代に京都に来た際の宿泊所として使用されました。
昭和14年(1939)になると、二条離宮(二条城)は、宮内省から京都市の管理になり、「元離宮二条城」として今に至ります。
二の丸御殿や東大手門について紹介した記事はこちら↓
本丸御殿の内部へ
本丸御殿内部
元離宮二条城公式サイトより引用( https://nijo-jocastle.city.kyoto.lg.jp/)
元離宮二条城事務所 学芸員 中野志保さんのご案内のもと、見学スタート。
玄関から上がって最初に目に入るのが、「波濤に鷲図」の衝立(ついたて)です。
本丸御殿には、江戸時代後期の画家である大原呑舟(おおはらどんしゅう)筆のこの衝立をはじめ、幕末の絵師によって描かれた作品が贅沢に配置されています。
また、畳の縁(へり)は繊細な赤い絹で作られており、踏まないようにゆっくりと進んでいきます。同様の畳は、吹上御所(皇居)においても使用されているようです。
本丸御殿の中心となる場所が、御書院の一の間から三の間です。
一の間は、他の部屋より一段高くなっているのですが、これは身分の差を表しています。
もともと桂宮家の親王を一の間に、年頭の儀式が行われていたのが、本丸御殿となってからは皇太子滞在時の拝謁所として用いられました。
また、三の間は畳を外すと能舞台になるそうです!
そこからさらに奥に進むと御常(おつね)御殿です。
ここは、御殿の主人が日常生活を過ごすためのプライベート空間でした。居室や寝室には絢爛豪華な障壁画が描かれています。
各部屋にある貴重な原画の障壁画を保護するため、現在一般公開の際には全ての部屋を一気に公開するのではなく、数部屋ずつ限定公開とされています。このとき私たちが見ることができたのが、松鶴の間と、雉子(きじ)の間です。
『松鶴の間』の障壁画
松鶴の間は、御常御殿の中でいちばん格式が高い部屋で、御殿の主が普段使っていた空間です。
この障壁画は、明治天皇の叔母にあたる淑子内親王(すみこないしんのう)という女性皇族が、桂宮家の当主となったことを契機に描かれました。
障壁画に何を描くのかは、当時の慣習にしたがって絵師と桂宮家の家臣の間で決められていたようです。
障壁画では、大きな存在感を放っている鶴の足元に小さな雛が描かれているのが、女性当主のための空間だからではないかと教えていただきました。
写真『松鶴の間』
また、この部屋の上を見ると、大きなシャンデリアが目に入ります!
近代ならではのこうした和洋折衷を感じることができるのも、本丸御殿の特徴といえるでしょう。
シャンデリアの中の電球は、現在ではLEDが使用されていて、貴重な障壁画をできるだけ光で傷まないようにするために、光の強さを細かく調整できるようにしているそうです。
写真『雉子の間』
雉子の間は、御殿の主人の寝室にあたる部屋で、皇太子時代の大正・昭和天皇が実際にここで寝起きしていたそうです。
このように、華やかな障壁画の原画がガラス越しではなく、実際に近くから鑑賞することができるというだけでも、ここ本丸御殿はとても貴重な場所ではないかと思います!
この障壁画のような絵画作品は、劣化防止のために温度・湿度管理が非常に重要となってきますので、保存のためにとても気を遣っておられるとのことです。
そしてさらに内部を進んでいるなかで、今回の取材のために、特別に厠(かわや)を見せていただけました!(普段は非公開)
トイレも漆塗りだったんですね……!
おわりに
大学コンソーシアム京都に加盟する大学及び短期大学の学生は「京都市キャンパス文化パートナーズ制度 KYO-DENT」アプリを提示する事により、通常は入城券+二の丸御殿観覧券で1300円に加えて別途本丸御殿観覧券1000円が必要なところ、100円で入ることができます。
KYO-DENTアプリは以下からダウンロードできます。
https://apps.apple.com/us/app/kyo-dent/id1492891126?l=ja&ls=1
https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.student.univ.kyoto
ちなみに、昨年度、この制度を利用して入城した学生は2700人とのことです!
本丸御殿は、事前予約が必要ですが、お得に入城できる学生のうちにぜひ行ってみることをおすすめします!
(取材・文 佛教大学 歴史学部 直江和宣)
(取材・撮影 京都橘大学 文学部 吉田琉凱)
(取材 京都女子大学 文学部 吉田妃那)
(取材 京都府立大学 公共政策学部 遠藤彩花)