【iPS細胞 山中教授】若者へ向け、自らの体験を語る
1月21日、京都産業大学特別対談シリーズ「マイ・チャレンジ」第1回が開催されました。
第1回のゲストは、2012年のノーベル賞受賞で知られる山中伸弥氏。山中先生による講演に加え、講演後には京都産業大学永田先生との公開対談が行われました。
ここでは、その対談の一部を紹介したいと思います。
コーディネーター:永田和宏 氏
京都産業大学総合生命科学部教授。京都大学理学部物理学科卒業。
企業の研究所勤務の後、米国国立がん研究所、京都大学再生医科学研究所などを経て、京都産業大学総合生命科学部初代学部長。宮中歌会始詠進歌選者を務める等、歌人としての活動も知られる。2009年紫綬褒章受章。
ゲスト:山中伸弥 氏
京都大学iPS細胞研究所所長・教授。神戸大学医学部卒業。
大阪市立大学大学院博士課程修了後、米国グラッドストーン研究所へ留学。京都大学再生医科学研究所などを経て、2010年4月より現職。2012年ノーベル生理学・医学賞受賞。
もくじ
環境を変化させることはとても重要。
永田先生 今日はたくさんの方々にお集まりいただき、ありがとうございます。これから少しの時間ではありますが、私から山中先生に質問する形でお話を聞いていきたいと思います。
まずは、今までいろんな段階があったと思いますが、自分にとって最も大切な一歩は何だったと思いますか?
山中先生 31歳でアメリカに行ったこと、あとは37歳の時に奈良先端大(※)に自ら移ったことですね。あれがなかったらiPS細胞はできていませんから、非常に大きな一歩だったと思います。
あともう一つ、僕は2004年に京都大学に移りましたが、やはりこれがiPS細胞研究の最後の決め手になったと思います。
(※ 奈良先端科学技術大学院大学)
永田先生 どんどん新しい場所を見つけていく、そして人に言われて動くというよりは、自分から動いていくということですね。
では京都大学に移ったことは、環境的に良かったのか、精神的に良かったのか、どっちなんでしょうか?
山中先生 どちらかというより、いろんな意味で良かったです。京大の再生医科学研究所という、まさにその分野に特化した場所で教授にしていただけたことは、自分のモチベーションにとってとても大きかったですね。
周りにものすごい先生がたくさんいて、基準が非常に高い。そういう所に身を置くことで、自然に自分も高められたと思います。
それから、研究室の引っ越しというのはとても大変ですが、その反面、頭を切り替えて様々なプロジェクトを整理し直すいい機会になりました。
永田先生 同じ場所にずっと留まり続けると、どんなにアクティブな人でも沈静化してきてしまう。そういう意味では、山中先生のように時々環境を変化させることがとても重要だと思いますね。
研究者の素質とは…
永田先生 山中さんが「自分は研究者としてやっていける」という実感を持ったのはいつですか?
山中先生 やっていけるというより、自分が研究者に向いていると感じた瞬間はありました。
大学院に入ってしばらくして、夏くらいに初めて簡単な実験をさせてもらった時のことです。それは、実験動物にある薬品を投与して血圧が上がることを確認するという、非常に簡単なものでした。
しかし実際やってみると、血圧は急激に下がり、予想の真逆の結果が出てしまいました。それを見たときに異様に興奮したのを覚えています。「何で??」って。
永田先生 何かがあったときに心底不思議に思える、心底驚けるというのは、研究者になるための一つの素質というか、条件のような気がしますね。本当に面白いと思って、それに感動・興奮できるかどうか…。
また我々のような年齢になると、学生たちが実験して得たデータを一緒になって面白がれるかどうかですよね。
山中先生 本当にそうですね。また同時に、純粋に喜べるというのは“若さの特権”だと感じます。
例えばiPS細胞ができた瞬間も、「先生できました!」と持って来られて、はじめは何かの間違いだと思ってしまいました(笑)。変に知恵がつくと「これが本当ならすごいけれども、そんなにうまくいくはずがない、何かのミスに違いない」と、素直に喜べません。年を重ねることで疑い深くなってしまうのかもしれませんね。
大変だけど、海外には絶対行ったほうがいい。
永田先生 いい機会なので聞きますが、山中先生にとってアメリカ体験とはどのようなものでしたか?
山中先生 今もですが、英語が通じないですね…。
永田先生 英語は大変ですよね。
山中先生 本当に大変です。今朝もアメリカの人と電話会議をしましたが、もっと言いたいのに、ついつい“Thank you.”と言って終わらせてしまいます(笑)。
永田先生 今の若い人たちは、昔と違って、海外に出て研究したいとは思わなくなっているそうですね。確かに日本国内でも研究はできるけど、やっぱり私はどんどん世界に出たほうがいいと思っています。それについてはどうお考えですか?
山中先生 今言った通り英語は大変ですが、海外には絶対行ったほうがいい。特に学生のうちに行けたら最高ですね。20歳で行くのと30歳で行くのはもう雲泥の差です。
僕ももう一度学生時代に戻れるなら、1年だけでもアメリカに行きたいです。インターネットのおかげで世界は狭く、海外は身近なものになってきてはいますが、やはり文化・歴史の違いなど、直接行ってみなければわからないことばかりです。世界から、つまり日本の外から日本を見るというのは大事です。
永田先生 日本にいると、世界を過大評価してしまうことがありますね。直接行ってみることによって、彼らも同じ人間なんだということが実感できます。
このように“知らなかったことを知る”というのには二面性があります。一つは、新しいことを知って知識が増えること。もう一つは、今まで別々だと思っていたものが、実は同じものであったと知れること。
素晴らしい功績を持つ山中先生だって、みなさんと同じ人間です。今日の話で「先生も俺たちと変わらないじゃないか」と思ってもらえれば、それは学生たちにとって大きな自信につながると思います。
自分から動かないと何も得られない。ぜひ何か打ち込めるものを。
永田先生 時間が迫ってきました。最後に今日来ている学生たちへ向けて、何か「これだけは心に留めておいてほしい」というものがあればお願いします。
山中先生 私が53歳になって思うのは、20前後の5年間くらいは本当に宝物のような時間だということです。この時間に何をやってもいいと思うし、何をしたら正解かなんて答えはありませんが、何もしないのだけはやめてほしい。
勉強でもそれ以外でもいいから、「あの時はあんなことに夢中になってたな」というものがあれば、それが成長につながります。たとえ失敗しても、学生時代の失敗は必ず成長につながり、将来の財産になります。だからみなさんには、今そういう大切な時間を過ごしていると、ぜひ感じていただけたらいいなと思います。
永田先生 大学生のみなさん、そしてこれから大学に入る高校生のみなさん、大学というのは与えられる場所ではありません。黙って待っているのではなく、自分から動かないと何も得られないということ、これを意識してほしいです。だから今日「山中先生の話を聞きたい」と思って自らここへ来たのは、とても良いことなんです。
とにかく若い人たちには、大学に来て、自分から何かをつかみに行こうという姿勢を学んでほしい。大学に入ったら、人に何かを教えてもらうよりも、「自分の学びたいことを学ぶんだ」という強い意識を持ってほしいです。ただ受け身で待っているだけの4年間にはしないでください。
山中先生 私の学生時代で言うと、何をしていいかわからなかった2回生の1年間は、非常にもったいなかったなと感じます。現在進行形のみなさんは、ぜひ何か打ち込めるものを見つけてください。
永田先生 今日の結論としては、来てくれたみなさんの中から“第2の山中伸弥”が生まれればいいなと。これは決して夢ではないと思っています。今日は本当にありがとうございました。
高校生たちの感想!
「まだ先のことだと思って考えたことなかったんですけど、大学の勉強って面白そうだなと思いました。『自分から学ぶ』姿勢は大学だけじゃなく、高校でも大事にしたいです。(高校1年 女子)」
「今日の話で勉強に対する意欲が高まりました。普段の勉強が将来こういう大きな世界へつながっているかもしれないと考えると、今のままではダメだ、これからもっと頑張ろうと思いました。(高校2年 男子)」
「私はまだ『これをやりたい』というものが決まってなくて…。 山中先生の話を聞いていたら、再生医療の分野にも興味が出てきました。他にもいろんな分野について知って、自分が一番興味の持てることを探したいです。(高校2年 女子)」
[京都産業大学 公式Webサイト]
http://www.kyoto-su.ac.jp
[京都産業大学特別対談シリーズ「マイ・チャレンジ」]
http://www.kyoto-su.ac.jp/more/2016/305/20160121_my-challenge.html
(同志社大学 法学部 木村望)