『いつも、自分らしく居たい』 書家の祥洲さんにインタビュー!
京都で生まれ育ち、現在も京都で活動されている書家の祥洲さん。なんと大学生の頃から書家として活動していらっしゃいます。
今回は学生時代のお話から京都で活動を続ける理由まで、たっぷりお話を伺ってきました。
そして取材の終盤では広報部員も感激の一筆をいただくことに…!?
もくじ
祥洲さんってどんな方?
まずは今回取材させていただく祥洲さんについてご紹介します。
〈プロフィール〉
祥洲 (しょうしゅう) 氏
6歳から正式に書を学び、立命館大学在学中の19歳で書家活動を開始。伝統書のみならず独自の墨美表現により国内外で評価を得る。
日中韓など五カ国共催「祥洲・先鋒墨美展」、小学校図画工作教科書「ゆめを広げて」収録、「伊勢神宮式年遷宮」「日光東照宮」奉納書、「メルセデス・ベンツ」「アディダス×EXILE」CM、「大河ドラマ/軍師官兵衛」題字等その活動は多岐にわたる。
2016年京都サンガF.C.スローガンの書、イヤーブック制作協力など京都サンガF.C.とのコラボを続けている。
墨翔会・墨集団翔Sho 代表。
祥洲の墨の世界 http://shoshu.jp
一番なりたかったのはミュージシャン!?
先生のお部屋にお邪魔して、インタビュースタートです!
──お部屋にはカメラやギターがありますが、これらは趣味ですか?
祥洲さん:ギターは昔からやってます。大好きなミュージシャン、エリック・クラプトンに憧れて、ロックをやるためにギターを始めました。カメラも大好きです。一番なりたかったのはミュージシャンで、二番目になりたかったのがカメラマン、三番目は、数学が好きだったので研究者…。書家はなりたいものの候補になかったんです(笑)。人生、何かの拍子で変わることが多いですからね。書はもちろん昔から大好きでした。職業にするつもりはなかったんですけどね。
──書家としてデビューした学生時代について教えてください。
祥洲さん:書で食べていくイメージが湧いてなかったんですけど、浪人中に初めて書いた作品が京都市の展覧会で入選して、「あ、おもしろいかも」と思って書家の道に進むことを決めたんです。大学は、当時書を習っていた場所との距離も考えて、立命館大学に決めました。数学などの理系が好きでしたけど、学部は文学部に(笑)。
──それは意外です…(笑)。
祥洲さん:でも意外と国語の勉強は出来たんですよ(笑)。大学では、国文学や中国文学を学びました。古い書物を読むこともすごくおもしろかったんです。書家になってから古典のコラムなどを書くときにこの経験は生きたと思いますね。大学って何か目標をもって進む人も多いと思うんですけど、僕の場合、大学で新しく出会ったことがその後の人生にすごく生きました。
挫折、そして自分の道へ
祥洲さん:有名な先生のところに入門して、さっそく挫折を味わいました。集まっている人たちのレベルがすごくて、自分なんて話にならなかったんですよ。自分にはお金もなかったし、他の人が100枚、200枚と練習している横で、10枚の紙を買うのがやっとでした。でも私は理系の分析が好きだったので、文字の大きさと紙の余白の比率や、線の揺れの回数などを分析して練習するようになりました。あと、奈良で書道道具のことを勉強し始めたのもこの時です。このあたりの他の人と違うアプローチが良かったみたいで、大学にいた4年間で、どうにか書で食べていけそう、という目処はつきました。
──なるほど、理系気質がここで生きたんですね(笑)。
祥洲さん:書家として活動する中で、中国に行ったときに、カルチャーショックを受けたことがありました。人前で書いたときに私が誤字を書いてしまい紙を変えようとしたら、間違ったと書き加えたらいいと言われたんですよ。中国の人たちは、一期一会の書を大切にしてるんだ、ということが伝わってきました。そんな人たちを見ていると、自分も本当に書が大好きだった頃を思い出しました。同時に当時の自分が、有名になる、賞を取る、ということを目標にしていることに気付いて…。30代手前で、本当に好きな書をやろうと思って、いろんな先生にお話に行って、所属していた会派を全部やめさせてもらいました。フリーになったんです。
──すごく大きな決断ですね。
祥洲さん:そうでしたね。フリーになってからも、最低限生活するお金は必要なんで、オリジナルの墨を使った作品とかでどうにかやってました。でも、どうしても専門家に評価してもらえないと厳しい時代だったので、借金してでも個展をやるべきか、すごく悩みました。作風も安全に行くか、冒険するか…。家族もいたんで、とんでもないストレスでしたよ(笑)。結局冒険した作品群による1992年のデビュー個展が注目を浴びて、そこからお仕事をいただくようになりました。今に至るまでずっと忙しいですね(笑)。
「京都で」のこだわり、仕事へのこだわり
──お仕事は全国でなさっているんですか?
祥洲さん:大きな仕事をしていたときは、東京や世界に目が向いていたこともありましたよ。でも、仕事が増えすぎると、また自分がやりたい書ができなくなった。なので、ある時から京都にしっかりと根を下ろして、仕事もセーブするようになりました。今は京都のスポーツチームに文化面で協力することにも取り組んでいます。ところで京都ってなんか時間がゆっくり流れているように感じませんか?
──たしかに、ちょうど良い具合にゆったりしていると感じるときがあります!
祥洲さん:雰囲気が緩やかという意味なんですけど、ゆっくりした時間の中でいろんな伝統文化も感じながら学べますから、いい場所ですよね、京都は。歩いたり、座ったりしているだけで雑念が浄化されるような場所もたくさんありますし、自分と向き合って、自分を見つめ直すのに京都は本当に良い場所だと思います。私自身19歳の頃からこの場所で教室をしているので、スタート地点と言えますし、ずっとここでやっていきたいですね。
──今までで、一番印象に残っているお仕事は何ですか?
祥洲さん:それはもう、20代で初めて商業書としてどら焼きの包装紙に「どら焼き」と書かせてもらった時ですね。自分の仕事がはじめてお金になっていくという感覚がとても印象的でした。何枚売れたらいくらもらえる、という感じ。お金の話はあんまりしない方がいいのかもしれないけど、何になりたいかだけ考えるんじゃなくて、現実的なことも考えないと、前には進めないからね。
──お仕事へのこだわりはありますか?
祥洲さん:とにかく自分がやりたいかどうかを最優先しますね。クライアントの大小は関係なく。あと、基本的に作品は一点だけクライアントに見せます。『軍師官兵衛』の題字を任された時もそうでした。だって渾身の作品が2つも3つもあったらおかしいでしょ?恥ずかしいものを残さないように、そして、いつも自分らしく居ることを心がけてます。
──祥洲さんの「書」とは?
祥洲さん:奇をてらいすぎたことはしたくないんですよ。奇をてらったものって、一瞬注目は浴びるけど、すぐ忘れられますよね。私は伝統の力を借りつつ自分を表現しているので。平凡に見えるかもしれないけど、やはり伝統の力は素晴らしいんです。でも抽象的な作品を書いたり、デジタルを使った作品を制作したりもするので、私は今、一番伝統のことを考えてるけど、伝統派じゃないアーティストかもしれないね(笑)。
即興の一筆は、ズバリ「コトカレ」!
ここでなんと、祥洲さんに即興で一筆書いていただけることに!
書いていただく言葉は私たちのWEBサイト名、「コトカレ」に決定。
さっそく数パターンの「コトカレ」を試し書きした後、「よし、この書き方にしよう」といよいよ本番。
そして、完成したものがこちら!
素晴らしい一筆をいただきました。
取材した広報部員一同、大興奮でした(笑)。
普段触れることがない書家の一面を見ることができた貴重な機会、
私自身インタビュー中、「なるほど」と思う言葉がいくつもありました。
祥洲さん、このたびはインタビューと即興の一筆をありがとうございました。
(文:立命館大学 産業社会学部 宇高浩嗣)
(写真:京都大学 文学部 角あかり)